美濃紙の製法が伝わる以前に青谷で漉いていたと考えられる階田紙(<謎7>)。それはどのようにして作られる、どんな紙だったのか、どうしてもこの目で確かめたくなります。そこには果たして現在の青谷の紙との繋がりを示す何かが認められるのでしょうか。
目指すは兵庫県佐用郡佐用町上月にある歴史資料館。去る11月2日、紙に疎い私を助けてもらうため4名の専門家に同行をお願いして行ってきました。中原剛、西村信吾、長谷川憲人という研究熱心な手漉き屋さんと中原さんの長男寛治君です。いくらか離れた山中にある階田紙発祥の地、皆田の集落には現在何も残っていません。
藁すぼ(青谷) |
楮(かご)なで包丁(青谷)
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「この楮(かご)なでの仕方は青谷と同じだぞ」と、壁面に貼られた白黒写真に目を留めた西村さんが声を上げました。「おっ、この藁(わら)すぼも同じだ」と長谷川さん。紙床(しと)から紙を剥がす手順について説明を受けていた中原さんも「青谷と同じだなあ」と一言。案内と解説をしてくださる館長で皆田和紙保存会会長、大上武さんは怪訝顔。
先ず青谷で言う「楮(かご)なで」は当地で「皮シジリ」と呼ばれ、楮の黒皮(鬼皮)の表皮を削り取る作業です。このとき青谷、殊に楮を主原料とする山根では、楮なで包丁の柄を利き腕の脇の下に挟み、手にした包丁部分で削り取ります。この方法はこれまで他に見たことがなく、同じ因州でも三椏を使う佐治では、樹皮を刃物で押さえつけて一気にしごくように引き削ります。ところが此処では10センチほどの長さの柄が付いたシジリ包丁を手に持って、青谷と同じように座った膝の上で皮を削るのです。次に「藁すぼ」は当地で「スベ箒(ほうき)」と言い、湿紙を干し板に貼り付けるときに使う稲穂で作った小さな箒のこと。これもまた、階田のものには青谷と同じく柄が付いていません。佐治のものには柄があります。そして漉き上げた湿紙を積み重ねた紙床から一枚一枚剥がすとき、階田では青谷と同様手前から向こうへとめくります。佐治では紙床を立てて、上から下へと逆です。そのほか漉き簀(す)を固定する枠のことを桁(けた)と言わずに「カセ」、楮を「カゴ」と呼ぶなど、両地域に共通する用語が使われていることにも気付きます。
なお、館内掲示の年表中に、前回<謎7>で紹介し、検討した佐治の西尾半(右)衛門について「八頭郡史考」と同じ内容の記述があり、その出所と誤りが気になりました。
「来た甲斐があったなあ」と私。どうやら階田と青谷の縁は繋がりそうです。楮とトロロアオイの苗を分けて頂いて大喜びの紙屋さんを乗せた車は秋空の作州を駆け抜け、紙の来た道を帰途に着いたのでした。
皮シジリの作業(上月) 「ふるさとの和紙」 (上月町民俗資料館刊)より
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上月歴史資料館の外観
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