神話「因幡の白兎」で知られる因州(因幡の国)は、律令の時代から鳥取県の東部地方を指す呼び名です。その製紙の歴史はほとんど1300年をさかのぼり、昭和30年代には山間の村々で100数十を超える業者が紙を作っていました。しかし現在では、青谷の日置(ひおき)地区と佐治(さじ)に僅か35の事業所を残すばかりです。
これらの土地に、その昔どのようにして製紙業が興ったのか、今となっては分からないことばかり。佐治の岡村喬(おかむらたかし)さんのお話では、薬売りが製法を伝えたとの伝承があるそうです。さて、青谷ではどうだったのでしょう。
鳥取市青谷町日置地区の遠景
青谷の町内を流れて日本海へ注ぐ全長10km余の日置川、その中流から上にかけて点在する2つの集落、山根と河原(かわら)――これらが今に伝統を伝え、今なお元気な因州和紙の里、日置地区です。新緑に包まれた5月3日、背広を着込んだ地元の和紙業者たちが三々五々集う先に、高さ160cm、大きな自然石の台座の上に建てられた「因幡紙元祖碑」があります。浄土真宗「願正寺(がんしょうじ)」住職の読経とともに「紙祭り」が始まります。碑文を見ると、寛永10(1633)年に美濃国のさすらい人で弥助という者が河原村の鈴木弥平氏の家で病気の介抱を受け、快癒した礼に紙漉きの技を伝授したのがこの村の製紙の始まりで、後に下隣の山根村へ広まったことが記してあります。
紙祭りは以前「紙祝い」と言い、弥助さんへの感謝祭です。
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願正寺
紙祭り
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