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手仕事探査隊

第22回 「因幡紙元祖碑」の謎とロマンvol.6
 ~謎4 日置の紙作りの真の起源は?(下)~

 山根、河原の人々に訊ねると、自分たちの村はそれぞれ隣接する小畑、早牛(はやうじ)両集落を本村として、歴史のある時期に分かれて形成された新村であると言います。寛政7(1795)年、安倍恭庵(あべきょうあん)の「因幡誌」に「俚諺(りげん)に小畑村は日置村落の初と云へり」と記されているとおりです。実際集落の中を歩いてみても、小畑、早牛には江戸期を遥かにさかのぼる由緒ある寺社や遺物が見られ、さまざまな古伝承を聞くことができますが、山根、河原でそのような物を目にし、話を耳にすることはありません。
 ただ、では分村したのがいつのことかとなると、確かめる術が見当たらないので困ります。そこで、以上のように曖昧で僅かばかりの材料を基に乱暴な推測を試みると、山根、河原両集落が形成されたのは恐らく戦国時代の末期に近い頃で、どんなに古くても中世までは遡らないのではないでしょうか。
 全国的に見て、地方の支配者たちが税収の基盤となる独立小農を育成するために治水に努め、開拓を奨励したのが戦国から江戸初期であることも参考になります。その結果、山根、河原のような河川の中・下流域の平地が生産活動の中心になったと歴史学は教えています。この時代推測はどんなものでしょう。
 集落の形成時期をこのように考えた場合、紙作りの起源をそれ以上に古い時期に求めることはできません。仮に集落形成とほとんど同時期に紙作りが始まったとしても、今から400数十年以上に遡ることはないでしょう。 

地図
鳥取市青谷町河原周辺の航空写真

    
 >>「謎5 紙作りはどこから伝わった?(上)」へ続く
    
※この連載に掲載されているコンテンツの著作権は筆者の若木剛氏に帰属します。権利者の許可なく複製、転用等することは法律で禁止されています。
   
更新日:2008年8月5日

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