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第155回県史だより

目次

  • 記事名:鳥取県の公報と広報(戦後編)
  • 活動日誌:平成31年2月3月

鳥取県の公報と広報(戦後編)

はじめに

 県史だより第153号「鳥取県の公報と広報(戦前編)」では、鳥取県公報をとりあげました。明治以来の県例規の公布方法の変遷と県公報登載の定着化を振り返り、また日中戦争以後戦争遂行のための伝達媒体の側面を強めていったことを指摘しました。

 戦後になると例規(条例や規則)の周知を目的とする「公報」とは別に、県の施策や制度、事業を幅広くお知らせする「広報」が行政の仕事として位置づけられていきました。戦後の広報の浸透の背景には日本の占領統治を行ったGHQの指導が強い影響をもちました。(戦前から「広報」と同じ意味で「弘報」という用語も使われました(注1)。)

 今回は、GHQの占領政策と戦後の県広報の発展について見ていきましょう。

鳥取軍政部「政治公報」の発表

 GHQの占領政策の目的は、戦前の天皇中心の専制的な国家から国民中心の民主的国家へと日本のしくみを変えることでした。GHQが日本に導入した言葉に「PR」があります。今日それは「広報」と同義に扱われていますが、もともとPR(Public Relations)を直訳すれば「公衆との関係(づくり)」。行政と住民とのあいだで情報が行き来することで、両者のよりよい関係が築かれ、民主的な行政運営ができるとされたのです。

 鳥取県の広報は、GHQ鳥取軍政部が発行した「政治公報」(謄写版)に始まります。第1号(昭和22年3月17日付)は、5月3日の日本国憲法施行日を「デモクラシー・デー」と名付け、「将来に亘っての日本の開放と平和との記念日たらしめ」ると宣言しました。第2号(同3月31日付)「地方選挙」は、同年4月の初めての県知事・市町村長・議会議員選挙が「日本の政府並に政治を新しい段階に導くものである」とその意義を強調し、公正な選挙と投票を呼びかけました(注2)

 「政治公報」は鳥取軍政部からの覚書というかたちで発表されました。GHQの占領は間接統治であったため、県民に対して直接的な指示・指令を行うことはできませんでした。ただしこれを受け取った県の教学課は、各地方事務所・中等学校・郡市連合青年団・鳥取米子市長あてに送付、さらに市町村役場や小学校、青年団、婦人会へも配布され、県民に周知徹底されました。鳥取県立鳥取第二中学校(現鳥取県立鳥取東高等学校)では4月14日、全校生徒800名に対して「政治公報」を用いた講義が行われ、のちに「社会科授業に於て研究討議に及ぶ」とされています(注3)

情報教育局から公報局へ

 「政治公報」の発出を皮切りに、GHQ鳥取軍政部は県に広報行政の積極化を働きかけます。同年3月18日に交わされた鳥取軍政部ノーラン隊長と吉田忠一知事との覚書に基づき、同年6月県教育民生部教学課のなかに「情報教育局」(Information and Education Office)が設置されます(注4)。情報教育局は、情報・情報発表手段・情報普及に関する事項を所管し、日本国憲法の普及講座や、予防接種などの公衆衛生予防に関する情報の周知、アメリカ教育映画配給サービスの巡回上映などを行いました(注5)

 このとき情報教育局は、広報業務のほかに社会教育・宗教法人・国宝保存・史蹟名勝天然記念物・重要美術品に関する事務もあわせ管轄しましたが、軍政部はこれに不満で、独立の広報部局の設置を強く主張しています。

鳥取情報教育局(Tottori Information and Education Office):これまで以上に効果的な広報事業を行うべく本軍政部の助言に従って開設されたが、計画通りに進んでいない。県の教育課は、厳密な意味での広報事業のかわりに、すべての社会教育活動も情報教育局に引き継いだ。広報局と社会教育局とを個別に設立すべく、県の官吏と会合を持っているところである。(22年6月30日付鳥取軍政部活動報告)

 12月の組織改正で、情報教育局は教育民生部から総務部に移管され、「公報局」として再スタートを切り(注6)、教育関係業務は新設の社会教育課に引き継がれました。翌23年1月末の軍政部活動報告は、情報収集・提供活動が軌道に乗り始めていることを伝えています。

 県の公報局(the Information Bureau)は、独立した部署になって(as a separate agency)最初の月である当月、行政の公報活動に顕著な(noticeable)改善をもたらした。県の部や課は、複数のグループに分かれており、各グループには公報局の職員1人が割り当てられ(assigned)、当該グループに関する情報施策の計画策定と実施(conducting)を担当している。こうして、ある者は農業関係、またある者は法律関係、別の者は民間教育に携わっている。この仕組みにより、資料の製作が拡大し、地元報道機関との関係がより満足いくものになった。(軍政部)民間情報教育班員が促した結果、公報局長と新聞社(press)とラジオ局の代表者が会議を複数回行い、民間情報教育班員も出席。公報局という新しい機関について、報道機関職員から総体的な称賛を得た。軍政部の提案をより迅速かつ聡明に取り入れる(rapid and intelligent application)ようになったことも重要な改善点である(23年1月31日付軍政部活動報告(注7)。)

公報局のPR活動

 昭和23年3月、公報局は「鳥取県弘報活動要綱」を定めます。弘報活動の目標は「日本民主化の責任を担ふ国民としての必要なる知識を提供し国及県の現状を理解せしめて日本再建、郷土再建の良心的活動を促進せんとす」という高尚なもので、同局が県全般にわたり弘報活動の企画立案・総合調整を図ることを企図しました(注8)

 図1「行政施策弘報普及系統図」(昭和24年7月)(注9)では、公報局が県庁内の各部局から収集した施策情報を一元化し、新聞、放送、「鳥取県民時報」「弘報とっとり」(後述)、街頭放送、展覧会や映画館などを通じて提供を行い、各市・地方事務所や町村から学校・図書館・公民館などの公共施設、劇場・理髪店・銭湯、さらに放送車や「サンドウィッチマン」(2枚の広告板を身体の前後に掲げて街路を歩く人)などの媒体を活用して施策情報を県民に届けるというしくみが考えられました(「足跡刻印」の意味は不明です。)

図1
図1 「行政施策弘報普及系統図」(昭和24年7月)

 図2「世論蒐集系統図」(同)は、図1とは逆に行政が県民意見を収集する流れを示したものです。投書や示威運動、陳情請願、公聴会や世論調査で得られた意見は各町村の弘報委員会で集約され、各市・地方事務所を通じて県公報局に集め、知事さらに中央省庁に届けられるというものでした。

図2
図2 「世論蒐集系統図」(昭和24年7月)

 図1と図2はセットで描かれており、施策普及と広聴が車の両輪として位置づけられていることがわかります。また、これらの図のなかで「知事」を挟んで反対側に描かれている「民事部」とは、昭和24年7月1日付で「軍政部」から名称変更したもので、GHQの関心の高さと関与の深さをうかがうことができます。

「鳥取県民時報」と「弘報とっとり」の発行

「鳥取県民時報」は県公報局により昭和24年4月30日に創刊されました。発行目的に「県政の実情を一般県民に理解徹底せしめ県政に対する関心と世論を振起するため県民と県政の紐帯となる機関誌を発行し民主県政の振興に寄与せん」ことを掲げ、編集方針は「県民大衆を対象とするので極力官報的性格化を避け県民に親しまれ愛読されるものとしての具象性をもたせたい」と、わかりやすい紙面づくりが心がけられました(注10)

 発行当初の判型はタブロイド判(新聞紙面の半分の大きさ)で、月1回、市町村役場、新制中学・小学校、農協、域内部落あて一部ずつ送付されました。昭和27年7月にはB5版の冊子体に変更し(写真1)(注11)、昭和32年4月にタイトルを「県政だより(県民時報改題)」に改めて月1回の発行が続けられました。そして、昭和35年4月号からは再びタブロイド判に戻したうえで、市町村広報誌を合同掲載するかたちで新製「県政だより」として県内全戸配布がスタート。現在まで続く県政だよりはこの昭和35年4月号を第1号としています。

鳥取県民時報の写真
(写真1)「鳥取県民時報」

 一方、「県政だより」の各戸配布が始まるまでのあいだ、県民一人一人に情報を伝達する手段として壁新聞「弘報とっとり」がありました。これは「鳥取県民時報」と同じ昭和24年から作成配布されたもので、「県行政の重点事項を特殊なポスターによって広く県民に周知させる為、県下の掲示板及び公衆の集会密なる公共建物に貼付して民主的県政の振興並びに県民の民生生活に寄与せん」ことを目的とし、役場や学校のほか理髪店・銭湯・図書館・公民館・郵便局・駅待合などの掲示板に貼られました(注12)。なおこれに先立つ昭和23年中、GHQ鳥取軍政部は県に働きかけて市町村への掲示板・告知板の設置を促しています(注13)

おわりに

 戦後の広報は、戦前の報道統制・国策プロパガンダに対する反省と、民主主義の基礎となる情報の共有という視点から、GHQの強力な指導のもとに鳥取県でも著しく発展しました。昭和24年に生まれた「鳥取県民時報」の流れをくむ「県政だより」は令和元年6月で710号を迎えます。一方「弘報とっとり」のような一枚ものの不特定多数の人に伝える広報は、その後も「県政写真ニュース」(創刊時期不明~昭和43年)、「県政グラフ」(昭和43年~62年)とかたちをかえて県民のみなさんにビジュアルな情報を提供し続け、現在では「とりネット」ホームページがその役割を果たしているといえるかもしれません。

 情報通信技術の発達でそのかたちは変わっても、民主主義を支える根幹としての広報の役割は失われていないのです。

(注1)北野邦彦「「広報・弘報・PR」の語源に関する一考察」(帝京社会学第21号、2008年3月)。

(注2)「政治公報第1号」「政治公報第2号」(『新鳥取県史 資料編 現代1 政治・行政』139~144ページ)。

(注3)「昭和20年8月以後 最高司令部の指令に基く文部省通牒(開巻諸通牒目次附)」鳥取県立鳥取第二中学校、鳥取県立鳥取東高等学校所蔵。

(注4)「民間情報教育に関する独立事務所設置」(昭和22年4月「知事事務引継書」、鳥取県立公文書館所蔵 No. 000219900759、『鳥取県史 近代 資料編』959~961ページ所収)。

(注5) Tottori Military Government Activities Report for Period 1-30 June 1947,同1-31 August, 同1-31 October, MGTE-0.2: Monthly Activities Reports - Tottori Military Government Team (May - Dec 1947),国立国会図書館所蔵、請求記号WOR20923-20926,昭和22年6月30日付、同8月1日付、同8月31日付、同10月1日付。

(注6)「衛生部など独立に伴い廿日頃には大異動」(「日本海新聞」昭和22年12月6日付、鳥取県立図書館所蔵)

(注7) Tottori Military Government Activities Report for Period 1-31 January 1948, MGTE-0.2: Monthly Activities Reports - Tottori Military Government Team (Jan - Jun 1948),国立国会図書館所蔵、請求記号WOR20926

(注8)「鳥取県弘報活動要綱」(「昭和22年10月起情報公知関係綴」大山村役場文書No.538、鳥取県立公文書館所蔵)。

(注9)「公報資料第2号」昭和24年7月鳥取県公報局発行(鳥取県立図書館所蔵)。

(注10)「県総合機関誌「県民時報」発行要綱」(「昭和24年弘報関係綴」大山村役場文書No.539、鳥取県立公文書館所蔵)。

(注11)「鳥取県民時報」昭和27年7月号の編集後記欄(「広報だより」)には、「鳥取市大火等の関係で、しばらく休刊していましたが今月から、従来の新聞形式を改めて、このような雑誌としました」とある。鳥取県立公文書館には昭和27年7月の冊子化以後のものが残されている。(欠号あり)

(注12)「掲示新聞「弘報とっとり」発行要領」(「昭和24年弘報関係綴」大山村弘報員、旧大山村役場文書No.539、鳥取県立公文書館所蔵)。

(注13)昭和23年11月4日付鳥取軍西部C.Cマイヤース少佐発鳥取県知事西尾愛治宛「告知板の活用」など(「昭和22年10月起情報公知関係綴」大山村役場文書No.538、鳥取県立公文書館所蔵)。

(西村芳将)

活動日誌:平成31年2月3月

2月

1日
6日
地域歴史資料所在調査(大雲院、岡村)。
9日
占領期の鳥取を学ぶ会(鳥取市歴史博物館、西村)。
12日
資料調査(鳥取県立博物館、東方)。
資料調査(岩美町岩井、樫村)。
14日
資料返却、古墳測量にかかる現地確認・協議(鳥取県立博物館・岩美町、東方)。
15日
埋蔵文化財専門職員等研修(鳥取県埋蔵文化財センター、東方)。
18日
古墳測量に係る打合せ(公文書館会議室、東方)。
20日
古墳現地確認(日南町、東方)。
地域歴史資料所在調査(大雲院、岡村)。
21日
古墳測量に係る打合せ(公文書館会議室、東方)。
22日
古墳測量にかかる現地確認(鳥取市河原町、東方)。
23日
東海鳥取県人会歴史講座出講(名古屋市内、岡村)。
25日
青銅器調査にかかる打合せ(公文書館会議室、岡村・東方)。
26日
『名刀「古伯耆物」日本刀顕彰連合」担当者会議(西部総合事務所、岡村)。

3月

1日
地域歴史資料所在調査(智頭町旧土師小学校、岡村)。
3日
4日
古墳測量にかかる現地確認・協議(倉吉市、東方)。
6日
資料調査(境港市海とくらしの史料館、東方)。
8日
来年度の青銅器実測にかかる協議(奈良文化財研究所、岡村)。
9日
19日
地域歴史資料所在調査(日南町、岡村)。
20日
地域歴史資料所在調査(三朝神社、岡村)。
22日
資料返却(米子市埋蔵文化財センター、東方)。
24日
現代部会(公文書館会議室)。
27日
資料借用・返却(鳥取県立博物館、東方)。
28日
民具資料の確認(琴浦町、樫村)。
  

編集後記

 元号が「平成」から「令和」に改まり、新たな時代がスタートしました。令和最初の県史だよりをお届けします。

 今回は、戦前の鳥取県公報の変遷と特徴を取り上げた第153号に続き、戦後の鳥取県の広報の流れについてまとめています。GHQの「政治公報」に始まった広報行政は、昭和24年創刊の「鳥取県民時報」を経て、昭和32年以降は「県政だより」として現在まで脈々と受け継がれています。県行政と県民をつなぐ重要な媒体として、これからも広報の役割はますます重要になっていくことでしょう。

 ところで、今回の県史だよりで取り上げたGHQの占領政策に関する記述は、毎月1回開催している「占領期の鳥取を学ぶ会」の活動の成果が反映されています。これからも鳥取県の新たな歴史をタイムリーにわかりやすく県民の皆様へお届けしていきたいと思います。どうぞご期待下さい。

(県史編さん室長 岡村)