第3回県史だより

目次

中世の鳥取と鉄砲

鳥取県関係中世史料の現況

 鳥取県は全国の中でも県内中世文書の少ない県の一つです。その主な理由は、戦国期を通じてこの地域が常に大名権力抗争の「境目」に置かれ、多くの合戦に見舞われたこと、また毛利・吉川・亀井といった因幡・伯耆の統治にあたった大名たちが、関ヶ原合戦後に山口・岩国・津和野など県外に移ったこと等があげられます。特に山口県には毛利氏や吉川氏の移封に伴って多くの家臣団が移り住みました。彼らが所持した中世史料は、毛利藩・吉川藩の編さん事業によりそれぞれ藩に提出され、『萩藩閥閲録(はぎはんばつえつろく)』・『譜録(ふろく)』(山口県文書館蔵)、『藩中諸家古文書纂(はんちゅうしょけこもんじょさん)』(岩国徴古館蔵)等にまとめられました。この中には戦国期に因幡・伯耆の経営に関わった毛利家臣たちの史料が多く収録されています。今回はこのうち『譜録』に所収されている鳥取県関係文書について紹介したいと思います。

『譜録』について

 『譜録』は毛利一門と永代家老並びに寄組・大組以下平士・細工人など2,595家に及ぶ藩士の系図・正統略譜・伝来の文書等を藩命によって各家から録上させたものです。膨大な量であり、また活字化されていないため、研究上やや活用しにくい面はありますが、『萩藩閥閲録』を補う貴重な中世史料が多く収録されています。

 鳥取県関係では、秋里・草苅など因幡に出自を持つ一族のほか、天野・朝枝・久芳(くば)・小寺・境・末近・山縣・山名等の諸家にも戦国期の因幡・伯耆に関する史料が含まれています。これらは旧県史の時にはほとんど収集されておらず、その後の県内の中世史研究においても、一部の研究者を除きほとんど活用されてはいません。

新出史料の紹介

 従来の研究で取り上げられていない史料を1通紹介してみましょう。

尚々、盛重への使者両人是又此衆同前可被渡候

至因州鉄炮衆差遣候、送舟之儀、早々可被申付分肝要候、恐々謹言

九月二日           元就 御判

左衛門大夫殿

(桂元忠)

(『譜録』桂式部忠澄)

 これは、永禄6(1563)~元亀元(1570)年の間に出されたものと考えられます。

 当時毛利氏は、因幡・伯耆方面へ進出しており、統治権をめぐって但馬山名氏や尼子氏と抗争を繰り広げていました。そのような最前線の味方を援護するため、毛利氏は「鉄炮放」・「鉄炮衆」と呼ばれる鉄炮を扱う専門部隊をたびたび戦地に派遣します。その数は決して多くはありませんが、鉄炮が武器の主流となる以前においては、味方の士気を鼓舞する心理的効果もあったとされています。

 ここで注目したいのは、「送舟」とあるように、因幡へ向かう毛利方の「鉄炮衆」が陸路ではなく、船を使って海路で輸送されていることです。中世の因幡・伯耆には、泊・赤碕・大塚・八橋(やばせ)・淀江など多くの良港があり、北部平野地域の城砦への軍事支援も多くは海上輸送で行われていました。詳細な分析は今後の課題ですが、この史料はそのような因幡の戦国時代史像を解き明かす手がかりを与えてくれるものといえるでしょう。

おわりに

 県内に中世史料の乏しい鳥取県においては、これまで後世の軍記物を無批判に引用するという研究姿勢が多く見られました。しかしながら、県外に散在している断片的な関係史料を広範に調査・収集するとともに、課題意識を持ちつつ個々の史料を丹念に分析していくことで、わずかずつではありますが確実に史実を明らかにすることができるのです。

 今回の県史編さん事業ではこのような過程を特に大事にしつつ、県外に足を運びながら重要な歴史史料を広範に収集し後世に伝えるとともに、そこから浮かび上がる鳥取の中世歴史像を広く県民に紹介していきたいと考えています。

(注)『萩藩閥閲録』は、享保年間に毛利藩が家臣から文書を上申させ、永田政純が中心となって編纂したもの。全5巻から成る。昭和42(1967)年に山口県文書館が翻刻・出版。中国地方の中世史研究の基本史料となっている。

(参考文献)山口県文書館編『山口県文書館史料目録 二 毛利家文庫目録』(1965)、秋山伸隆「戦国大名毛利氏と鉄炮」(『歴史手帳』第10巻第17号,名著出版,1982,のち『戦国大名毛利氏の研究』吉川弘文館, 1998,所収)、岡村吉彦「因幡国における鉄炮の登場」(鳥取地域史研究会編『鳥取地域史研究』第8号,2006)。

(岡村吉彦)

室長コラム(その2):菅楯彦の掛け軸

 仕事柄、書画骨董には関心を持っており、自分のこづかいの中から、鳥取県関係の美術品等を少しずつ買い続けている。先日、京都の古書店から送られたカタログの中に、菅楯彦(すが・たてひこ)の掛け軸が掲載されていた。

 菅楯彦は、明治11(1878)年、菅盛南の長男として鳥取市に生まれ、幼くして両親と共に大阪に移り、以後独学で古今の画法を学び、独自の様式を確立、晩年は浪速風俗を主題に多くの作品を残し、昭和38(1963)年に亡くなっている。

 鳥取県とのつながりも深く、県人会の依頼で描かれた「神倉秋景(かんのくらしゅうけい)」は県立博物館に所蔵されており、父祖の出身地倉吉市は、没後に名誉市民章を贈り、倉吉博物館では近年まで3年に一度、「菅楯彦大賞展」を開催していた。

 案外知られていないが、県庁の庁舎前にある「鳥取県庁」の題字は、昭和37(1962)年に楯彦によって書かれたものである。県庁の題字を、著名であったとはいえ、一介の画家に依頼した鳥取県の見識の高さに、県民は誇りを持ってよいと思う。

「鳥取県庁」碑の写真
「鳥取県庁」碑(奥に見えるのが鳥取県庁本庁舎)

 その楯彦の作品だが、「たけのこ」の図に賛が添えられ、小品で少し焼けているものの、値段は5万円。楯彦作品ならば、通常数十万はするのだが、異常な安さである。贋作の可能性もあるが、バブル崩壊後の不景気で、骨董業界もここまで値が下がったのかもしれないと、少し期待も込めて、購入の希望を送ってみた。

 結果は見事に落札、早速、現物を送ってもらった。しかし、一目見て、絵も字も力がなく、やはり、楯彦の真作とはいいがたいものだった。まあ、これも勉強とあきらめて、納品書を見ると、作者は「菅楯彦」ではなく、「管(くだ)楯彦」と書いてあった。

(県史編さん室長 坂本敬司)

県史編さん室の新スタッフ

 平成18年6月13日(火)、瀧山非常勤の後任として、足田非常勤が着任しましたので、ひとこと。

非常勤 足田 一江(あしだ かずえ)

担当:史料情報入力・デジタル化

 現在、県立公文書館・図書館所蔵「鳥取県歴史」の目録作成・入力に取り組んでいます。やっと少し目が慣れてきたところです。これからどうぞよろしくお願い致します。

活動日誌:2006(平成18)年6月

1日
専門部会(原始古代)開催。
2日
専門部会(民俗/近代・現代合同)開催。
6日
鳥取環境大学「鳥取学」講師(岡村)。
9日
大山僧坊跡調査委員会出席(坂本)。
13日
足田非常勤着任。
鳥取市立西郷小学校総合学習講師(坂本)。
14日
岡山県立記録資料館で視察・聴き取り(西村・大川)。
鳥取環境大学「鳥取学」講師(坂本)。
20日
市町村現況調査(南部町・伯耆町、岡村・西村/若桜町、坂本)。
若桜町人権問題学習講座講師(坂本)。
26日
市町村現況調査(江府町・日野町、岡村・大川)。
27日
市町村現況調査(日南町、岡村・西村)。
30日
鳥取市立江山中学校職場体験受け入れ。

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