出前講演を実施しています。

霊石山ウォークで出前講演しました!

 令和3年4月17日(土)に「かわはら春フェスin霊石山(れいせきざん)」で遺跡ガイド(出前講演)を行いました。当日はあいにくの雨でしたが、40名もの方々が参加されました。このウォークは霊石山を山麓から山頂まで踏破するのですが、その途中のポイント、ポイントで遺跡にまつわる解説をしていくというものでした。
 あまり知られていないかもしれませんが、霊石山麓には80基を超える稲常古墳群、山頂には最勝寺山城があります。また、その周辺にある奈良・平安時代の官道である古代因幡道推定地や中世の山城など見渡すことができます。
 参加者の皆様は、霊石山に多くの古墳があることに驚かれ、山頂にある山城の堀跡などの痕跡に大変興味を持っておられました。そして、雨中にもかかわらず山頂から見える鳥取平野の美しさや遠くに見える鳥取城跡、因幡の国人である武田高信の本拠地、鵯尾城(ひよどりおじょう)跡をご覧になって大変感動されていました。

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登山途中で周辺の山城・因幡道を説明

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山頂の最勝寺山城跡の痕跡を探索中

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最勝寺山城跡縄張図

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山頂から見える風景に感動!!


浜坂小学校で火おこし体験の出前講座を行いました。

 1月21日(木)に、浜坂小学校で火おこし体験の出前講座を行いました。今回は、授業とクラブ活動での「火おこし体験」に合計39名の児童が参加しました。実は昨年の12月に行う予定でしたが、大雪で中止となった経緯もあり、児童は火おこし体験を心待ちにしていたようでした。体験道具を準備している私達に興味を持ったのか、笑顔で「これは何に使う道具ですか?」とか「知ってる!火をおこす道具だ」などと話しかけてくれました。

 まず最初に舞ギリ、火キリ臼など道具の説明を行い、実際にお手本として当センター職員が火おこしを実演しました。実際に火がつくと、「すごい!」「おー火がついた」などの声が児童達から上がりました。

 その後、グループに分かれて火おこしに挑戦したのですが、よく火がついたグループは、何回火がつくのか挑戦し、結果5回も火をおこすことに成功していました。残念ながら火がつかなかったグループは、「何で火がつかないんですか」、「どうしたらつくんですか」など聞いてきましたが、やはり火がつかないのはとても悔しかったのか、「明日も来るんですか」とか「どこに行ったら火おこしが出来ますか」などの声もたくさんありました。

 現在は簡単に火を使うことが出来ますが、古代の人たちの火おこしの大変さ火の大切さを実感してもらえたのではないかと思います。

説明を受ける児童たち

火おこしをしている様子

火種を吹く様子


気高町歴史講座で出前講演「古代山陰道を学ぶ」を行いました。

 1219日(土)に気高町歴史講座で「古代山陰道を学ぶ」と題し出前講演を行いました。毎年4、5回開催され、4050名の参加者がある人気講座のようですが、今回は新型コロナウィルス感染拡大防止のため20名限定での開催となりました。

 講座では、鳥取市青谷町で進める古代山陰道の発掘調査について、最新の調査成果をお伝えし、国内初の発見となったつづら折りの道路遺構などについて解説しました。古代山陰道のすばらしさを感じていただけたようで、終了後には下記のようなたくさんのご感想をお寄せいただきました。今後の調査研究に対する期待度も高く、来年度に向けてしっかり準備していきたいと思います。

講座のようす

【いただいた感想】


青谷上寺地遺跡ボランティア講座で出前講演を行いました。

 1212日(土)に第6回青谷上寺地遺跡ボランティア講座で講義「青谷の古代山陰道-令和1・2年度発掘調査成果」と実習「古代のコマづくり」を行いました。

 国史跡青谷上寺地遺跡では史跡整備が本格的にスタートしたところですが、この講座は、史跡活用に向け、さまざまな活動を支えるボランティアを養成する講座で、鳥取市青谷町総合支所が事務局となって進めていらっしゃいます。今回は14名のボランティアのうち、8名の方が参加されました。

 前半の講義では、国内初の発見となった青谷東側丘陵のつづら折りの調査成果などを解説しました。参加者からは「古代山陰道は青谷の日置川や勝部川をどのように渡っていたのか?」などの質問や、来年度予定している西側丘陵の発掘調査に対する期待をいただきました。

 後半の実習では古代のコマづくりを行いました。現代にように軸をもつコマではなく、古代のコマはむちでたたいて回すコマでした。「叩き独楽」「むち独楽」と呼ばれ、鳥取県内の遺跡では常松大谷遺跡や会下・郡家遺跡(いずれも鳥取市)などで出土しています。製作自体は比較的簡単ですが、実際に回すのが難しかったようで、かなり苦労されていました。回りだすと、最後は皆さん夢中になって楽しんでいらっしゃいました。

講座の様子

完成した古代のコマ

製作後、実際にコマを回している様子。


山ノ下遺跡と小鴨氏

 1211日(金)、琴浦町の寿大学で出前講演を行い、7名の方に参加いただきました。今回は平成2830年度に発掘調査が行われた山ノ下遺跡の調査成果について報告しました。

 倉吉市に所在する山ノ下遺跡は、平安時代のおわりごろ(11世紀後半から12世紀)に規格的に配置された大型建物が造営されます。大型建物は県内で例を見ない規模を誇り(最大建物の面積は237.5平方メートル)、中国でつくられた陶磁器などの貴重な遺物も出土していることから、当時、伯耆国で急速に勢力を拡大した倉吉市南部を拠点とする小鴨氏に関連する施設である可能性が考えられています。

 講演では大型建物の構造や柱穴の造り、土師器や須恵器、中国でつくられた陶磁器といった出土遺物などを中心に解説をしました。大型建物の柱穴は基礎固めにより非常に強固な造りとなっていることから、参加者のみなさんは当時の建築技術に感心しておられました。

 また、小鴨氏が船上山山頂付近にあったとされる金石寺(こんじゃくじ)に梵鐘(839年鋳造)を寄進したと伝えられており、琴浦町にも小鴨氏とのゆかりがあることを紹介すると、とても感慨深げに聞かれていました。

解説の様子


稲葉山地区公民館で出前講座をおこないました。

 12月9日(水)に、鳥取市稲葉山地区公民館で出前講座を行いました。

 今回は、「郷土の歴史発見」と言うテーマでお申込みいただきましたので、稲葉山地区とその周辺の遺跡の中から、「立川(たちかわ)遺跡」、「滝山経塚(たきやまきょうづか)」、「爵山城(しゃくやまじょう)」を中心に取り上げ、それぞれの遺跡の概要、主な出土品や遺構などについて、パワーポイントと資料を用いて解説しました。

 皆さん、お住まいの地域の歴史には関心があるようで、とても熱心に聴講されており、終了後には多くの質問や感想などをいただきました。

 取り上げた遺跡のうち、立川遺跡は昭和25年に地元の中学校が発掘した歴史があるのですが、生徒として実際にその調査に参加されていたという方がおられ、思いがけない貴重な証言をいただきました。

 また、公民館の目の前の丘陵が中世の爵山城ですので、公民館としてもすぐ近くにあることを生かして「ウオーキングを計画しようか」などという声が上がっていました。

今回の講座をきっかけに、地元の歴史に興味を持っていただければありがたいと思います。


鹿野城・流し山ウォーク(鳥取市鹿野往来交流館 童里夢主催)で「流し山」地区をご案内しました。

 1122日(日)に開催された「鹿野城・流し山ウォーク」(鳥取市鹿野往来交流館童里夢主催)で、「流し山」地区をご案内しました。

 「流し山」とは鹿野城が築かれた妙見山(標高150m)の後ろにそびえる尾根部(標高200m)で、南北に延びる細い尾根の各所に堀切状の遺構が見られ、今の鹿野城にはない古い時代の面影が残された場所です。この「流し山」と鹿野城に挟まれた場所は尾根が大きく窪んだ鞍部で、江戸時代の地誌、『因幡誌』には「切通(「きりとおし」か)」として伝えられています。

 ウォークの前半は鹿野城の西麓に残る古刹、光輪寺裏から鞍部の上へと登ります。この道は鷲峰山への登山路でもあり、尾根筋に残る「流し山」の遺構(堀切など)を観察しながら、「流し山」の頂上までご案内しました。後半は鹿野城へ裏側から登り、天守台へ登った後、中世史研究者の高橋正弘さんの解説により、下山しながらかつて昭和56年の発掘調査で確認された石垣の痕跡や、礎石建物跡を見て歩きました。

 午前・午後2回のウォークには計25名の方が参加され、参加者からは「(流し山)は堀切と言われないとわからない」、「(流し山)頂上の堀切は立派」、「亀井玆矩がいたころのお城はどんな様子だったのだろう」、「鹿野城は石垣を注意して見たことはなかった」などの声が聞かれ、「流し山」、鹿野城を見つめ直していただくきっかけになりました。

現地案内の様子(鹿野城)


琴浦町で出前講演を行いました!

 11月13日(金)、琴浦町の寿大学で出前講演を行い、10名の方に参加いただきました。テーマは「古代・中世の食事」でした。

 食べ物という身近なテーマであることや私の講演が今回で3回目ということもあり、いつも以上にご参加の皆様と打ち解けた講演会となりました。

 話の中で、弥生時代に米作りが始まり、「ご飯」と「おかず」という食べ方になったこと、弥生時代のお米の収穫量が少ないため「栗ご飯」のように他のものとお米を炊いて量を増していたと推測されることを説明すると、「栗ご飯」の歴史の長さに驚かれていました。

 奈良時代には、全国から税として集められたものが貴族、役人の食事に出され、因幡国・伯耆国からは鮭が都に送られていたことをお話しすると、「中部の川でも昔、鮭を見たことがある。」と有益な情報を教えていただけました。また、鮭だけでなく「わかめ」も都に送られ、都でも評判がよかったという説があることを説明すると、「送ったのは、「板わかめ」ですか?」という声もありました。

 講演の最後に、「今日はとても身近な話題で、おもしろく話が聞けた。」という感想をいただき、私も達成感のある講演会でした。

講演会の様子


私部(きさいち)城現地をご案内しました。

 鳥取県立博物館が主催する「第5回 古戦場・山城・荘園をあるく」の中で、コースの一つ、私部(きさいち)城をご案内しました。

 私部城は、JR東郡家駅から東へ5kmの市場集落の裏にそびえる城山(標高276m)に築かれた山城です。この城は室町時代に奉公衆(室町幕府の将軍直属の軍事担当)をつとめた私部毛利氏の拠点でした。

 この私部は交通の要衝でもあり、重要拠点でした。永禄年間に但馬山名氏が、鹿野城に退去した山名勢の救援のため西へ侵攻したときに一時入城しています。天正年間には、鳥取城を攻略した尼子再興軍が私部を本拠とし因幡国内へ調略を進める中、安芸毛利勢の攻撃により落城しています。さらに天正8年には織田方による因幡攻めに際して秀吉軍に攻略され、その後、但馬の山名氏政がこの城を守備するなど、攻防が繰り返される城でもありました。

 こうした様々な勢力が入れ替わり立ち代わり在城する中で、城館の整備、改修が行われた結果でしょうか。山頂から麓にかけて何本も枝分かれする尾根筋には曲輪と考えられるたくさんの平坦面が残されています。その数はゆうに100箇所を超え、因幡でも有数の大規模山城として今にその姿を残しています。

 当日は、20名の方が参加され、麓から山頂を目指しました。風化した花崗岩が露出した山道は滑りやすい場所が多く、足の置き場を考え、注意しながら登城いただきました。曲輪を何段も登り、約1時間をかけて到着した頂上(主曲輪)からは木々が生い茂ってあまり眺望はきかないのですが、北西に湖山池がちらっと見え、往時は周囲への眺望は広く確保されていたようです。

 また、主曲輪の各所には大きな岩が点在し、平坦面の加工は不十分で凸凹が目立っているのですが、やや下った場所には広い平坦面を確保し、急な切岸を備えた立派な曲輪(写真)がみられ、同じ城の中でも曲輪の造りに違いがあることがわかります。

因幡の重要城郭として威容を感じられる城郭です。

北東から見た私部城

急な切岸の前で説明

天然石を利用した切岸


因幡万葉歴史館で歴史講座「国府町とその周辺の古墳」を行いました。

 11月8日(日)に、因幡万葉歴史館の歴史講座で、「国府町とその周辺の古墳」と題して講座を行いました。

 埋蔵文化財センターがある旧国府町域には古墳が500基ほどあるなど、鳥取平野の千代川右岸は県内有数の古墳集中地域です。今回は、この旧国府町だけでなく、広く鳥取平野の千代川右岸の古墳について、これまでの発掘調査や新鳥取県史編さんに伴う最新の測量調査などの成果から、この地域の古墳築造の動向やそこから分かる地域の歴史について解説しました。また、時期や内容が分からない古墳も多く、今後の調査により大きく歴史が代わってくる可能性もあることなども話しました。

 参加された33名の方は熱心に聴講しておられ、「鳥取平野以外の因幡では、古墳はどのような場所に築造されていたのか」「国府町域で古墳の航空レーザー測量を行ったらどのようなことが分かるか」などの質問も受けました。

 やや専門的な話もあったのですが、地域の古墳について関心を持っていただけたのではないかと思います。

イベント,講座,施設見学,資料調査等のお申込み


センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


埋蔵文化財センターについて


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