鳥取市賀露神社会館でお台場についてお話ししました。

平成30年11月25日(日)、鳥取市にあり、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」に認定されている港町、賀露町にある賀露神社会館で「幕末の海防と鳥取藩台場~全国的視野から賀露台場へのアプローチ~」と題して、出前講座を行いました。

全国では幕末から明治維新期にかけて約千基築造されたとされる台場ですが、このうち、鳥取藩内には8ヶ所(10基)の台場がありました。

そのうち、ここ賀露は鳥取城下を流れる千代川の河口左岸という要衝の地であったことや、北前船の寄港地という当時の流通の要所でもあったことから、東西に「稜堡式」と呼ばれる西欧流のふたつの台場が造られ、藩内の八橋(やばせ)郡瀬戸村にあった六尾(むつお)反射炉で鋳造された大砲が、あわせて8門備えられました。

藩内で反射炉を造るのに成功し、50基を超える大砲を鋳造できたのは、肥前佐賀藩を別格とすると、薩摩藩とほぼ同数の大量鋳造だったことも注目されるところです。

当日は、天候にも恵まれ、地元賀露町の方を中心に65名の皆さまが参加され、熱心に聴講くださいました。

当日の資料(PDF)はこちらからダウンロードできます(著作権の関係上、転用はご遠慮ください)。→ 181125-karodaiba.pdf(2649KB)

出前講座「幕末の海防と鳥取藩台場」の開講の様子

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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