収蔵展示

収蔵展示解説その3 「古墳時代後期の土師器(はじき)はこう変わった?」

 最終回は、古墳時代後期の土器の変遷を解説します。
 後期の土器は、4時期に分けることができると考えられていますが、後期の土師器の様相は、県内ではこれまであまり論じられることがありませんでした。変化が乏しく、時代の決め手となるものが須恵器(すえき)中心になったからです。また、良好な一括資料にも恵まれなかったことも、理由の一つとなりましょう。近年、鳥取西道路などの大規模な調査が行われ、だんだん資料も増え始めたことから、今後この時期の土師器の研究も進んでいくことでしょう。

【後期前葉】の壺は、口縁部(こうえんぶ)は短く立ち上がりかろうじて前時期から続く複合口縁の名残をとどめるもので、小型になります。甕(かめ)A類も同様に短く立ち上がり複合口縁の名残となり、端部が内傾する平坦面をもつものになります。D類は短く外反する口縁をもちます。高坏は口縁端部が短く屈曲する坏部をもち、坏外面はケズリ後の調整が行われないものとなります。椀A類は大型化し端部が短く外反するものや内傾する段をもつものがあり、外面がケズリ後の調整が行われないものがあります。椀C類は脚部が高くなります。

【後期中葉】の小型の壺C類は、口縁部は短く立ち上がり受口状となり、かろうじて複合口縁の名残をとどめるものになります。甕A類は前時期と大きな変化は見られず、口縁部が短く立ち上がり端部に内傾する平坦面をもちます。甕D類は、口縁部が短く外反するものや大きく外反し端部に面をもつものがあり、胴部は球形に近くなります。椀の形態もあまり変化がみられません。

【後期後葉】では、壺が複合口縁の名残をもつ小型C類となります。甕D類はあまり変化がなく、短く外反する単純口縁をもつものです。高坏は坏部が大型で端部が屈曲する形で、大きな変化は見られません。

【終末】には、甕はすべてD類に置き換わっているようです。形態的には前時期同様短く外反する口縁部をもち、口径は胴部最大径を上回りません。良好な資料が少ないので、今後の資料増加が期待されます。

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 これまで、3回にわたって収蔵展示の解説を行いました。主に土器の形態の変化について解説しましたが、この編年についてはあくまでも一つの案です。
 ぜひ、当センター2階収蔵展示の実物を見ながら土器の移り変わりの様子を見つけていただき、モノが変化する背景についても考えていただきたいと思います。

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後期の土師器の移り変わり

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後期中葉の甕(左A類、右D類)

[令和4年12月掲載]


収蔵展示解説その2 「だんだん退化 古墳時代中期の土師器(はじき)」

 今回は、古墳時代中期の解説を行います。中期の土器は、5時期に分けることができると考えられています。
 中期になると土師器の器種に大きな変化がみられるようになります。

【中期初頭】の壺(つぼ)・甕(かめ)A・B類は、複合口縁(ふくごうこうえん)の作りに退化傾向がさらに進み、器壁が厚くなります。胴部の内面肩部や底部には、指で押さえた跡がそのまま残るものが多くあります。これは、胴部成形時に粘土を上下別々の外型に押入れて成形した痕跡の可能性が指摘されています。また、甕胴部の外面肩部には、小豆(あずき)大の2~3点の刺突(しとつ)文が施されるものが目立つようになります。これは、近畿地方の土器にもよく見られ、引き続き近畿地方からの影響を示していると考えられます。高坏(たかつき)は坏部(つきぶ)が浅くなり、浅い椀状から皿状に変化していきます。鼓形器台(つづみかたきだい)A・B類とも厚ぼったい作りに変わり、山陰型甑形(こしきがた)土器や小型丸底壺を除く小型器種同様この時期を境に見られなくなります。

【中期前葉】は良好な資料が少ないのですが、壺、甕A・B類ともさらに口縁部の退化傾向が進んでいきます。この時期まで甕の外面肩部の刺突文がみられます。高坏は脚部(きゃくぶ)が細くなり、坏部が再び深くなっていく傾向にあります。小型丸底壺は口縁部の立ち上がりが短くなり、口径は胴部最大径を上回らなくなり、この時期で姿を消すと考えられます。この時期から甑(こしき)は角状把手(つのじょうとって)をもつC類が現れます。それと同時に、県内で須恵器(すえき)が出現するのがこの時期の大きな特徴です。

【中期中葉】も良好な資料は少なく、土器の様相を掴みづらい時期です。壺・甕の形態は前時期とはあまり変わりませんが退化傾向はより進んでいます。高坏C類は坏部がだんだん深い椀状に変わっていくようになります。

【中期後葉】の甕A類は、複合口縁部の作りが退化の結果、受口(うけくち)状を呈すようになります。甕C類は、布留(ふる)系の特徴であった口縁内面端部の肥厚(ひこう)部分がなくなり、かろうじて内湾(ないわん)する単純口縁に変わっていきます。外反する口縁部をもつ甕D類が徐々に増え始めるのがこの時期です。壺には超大型のものが現れますが、ほぼこの時期だけの現象と思われます。高坏は脚部が短くなり、椀状の坏部に変化しています。椀には脚が付くC類が現れます。この時期には、定型化した須恵器が伴います。

【中期末葉】の甕A類は、口縁部が形骸化(けいがいか)し段を持つものや沈線で複合口縁を表現するものなどバラエティが富んできます。単純口縁の甕はC類がこの時期でなくなり、以降はD類に変わっていくようです。高坏は椀状の坏部が深くなる傾向があります。脚付の椀C類は脚部が高くなる傾向にあります。

(「古墳時代後期」に続く)

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中期の土器の移り変わり

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中期初頭の甕の刺突文

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中期前葉の甕の刺突文

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中期の高坏の変化
(左から初頭、中葉、後葉、末葉)

[令和4年12月掲載]


収蔵展示解説その1 「近畿地方の影響 古墳時代前期の土器」

 2階廊下で令和4年10月14日(金)から始めた、土師器(はじき:古墳時代の土器)の収蔵展示について3回に分けて少し詳しく解説したいと思います。

 今回は、古墳時代前期(約1750年前~1600年前)の土器について解説を行います。鳥取県の土師器は、弥生土器の変化の過程で出現し、前期は4時期に分けられると考えられています。

 

【前期初頭】では、土器の中心的な器種である壺(つぼ)や甕(かめ)A・B類(形式分類図参照)は、山陰地方の弥生時代後期の特徴である複合口縁部分の無文化の過程の中で捉えることができます。古墳時代に入ると、口縁部分の装飾はほぼ無くなり、胴部の一部に波状文(はじょうもん)や平行線文が残るにすぎません。長倒卵(ちょうとうらん)形の胴部の厚さは薄くなり、口縁部の作りなど非常にシャープに作られています。さらに細かく見ると、口縁端部が成形時にカットされたように、平坦面をもつようになり、胴部の調整は弥生時代終末同様細かいタテハケ目調整が主流です。また、この時期以降底部が丸底化しますが、かろうじて小さな平底を呈すものもあります。その他の器種では、高坏は大きな変化は見られませんが、鼓形器台は筒部の短縮化、低脚坏(ていきゃくつき)は皿状のB類がみられるようになります。こうした中、弥生時代終末期以降見られた近畿地方の土器の影響を受けたもの(布留系土器:ふるけいどき)が現れ、布留系の甕(甕C類)や小型器台や小型丸底壺が出現するのも、この時期となります。器種のバラエティは、基本的に弥生時代終末から変わりませんが、若干器種が増えるのが特徴です。

 

【前期前葉】の壺・甕A・B類は、この時期以降複合口縁の作りが退化傾向を示すようになります。口縁部の立ち上がりがだんだん短くなり、胴部は寸詰まりの倒卵形になり、完全に丸底に変わります。胴部外面の調整は、タテハケ目からヨコハケ目に変わっていくようになります。甕C類が顕著に現れるようになり、吉備(きび:今の岡山県南東部地域)系の甕もみられます。初頭では十分ではなかった畿内系の小型器種(小型器台・小型丸底壺・小型丸底鉢)が揃い、器種のバラエティが豊富になるのがこの時期になります。鼓形器台は器高が低くなり、高坏も小型化を示すようになります。

 

【前期中葉】の壺・甕A・B類の退化傾向はゆるやかに進み、だんだんシャープさが無くなっていき、胴部は球形に変っていきます。外面の調整もヨコハケ目が主流となります。鼓形器台は小型化し、B類が現れるようになります。高坏も小型化の傾向となり椀状坏部のC類、坏部が有段のF類がみられるようになります。低脚坏も小型化を示すようになります。

 

【前期後葉】の壺・甕A・B類の退化傾向はさらに進み、胴部の厚さがだんだん厚くなり、長胴化するもの、球形化するものがあります。高坏C類は坏部が浅い椀状や漏斗(ろうと)状になっていきます。鼓形器台A・B類はさらに小型化し、器壁も厚くなってきます。低脚坏A・B類はどうもこの時期までしかないようです。

「中期」へつづく

 

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古墳時代の土器の形(形式分類図)

 平行線文

前期前葉の複合口縁甕(甕A類)

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前期前葉の山陰(左)・近畿(中)・吉備(右)の影響を受けた甕

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古墳時代前期の土師器の移り変わり

[令和4年11月掲載]


これを知ったら時代がわかる!!

 鳥取県埋蔵文化財センターには、開発に伴う発掘調査で出土した遺物がコンテナ約22,000箱以上収蔵されています。
 これまでは、出土遺物の公開は厳選されたモノを展示会等で、期間限定でご覧いただいていましたが、埋もれた出土遺物に光を与えるべく、センター本所2階廊下で、本日令和4年10月14日(金)から収蔵展示を始めました。
 時代・時期を推測する考古学の方法である「土器編年」について、まずは、実物の土器を用いて古墳時代の土器(土師器:はじき)を時期毎に展示しました。長瀬高浜遺跡(湯梨浜町)など県内の集落遺跡出土遺物を中心に、鳥取県の古墳時代前期から終末にかけての、土器の形の詳細な移り変わりをご覧いただきたいと思います。
 少し専門的な内容ではありますが、古墳時代にはどのような形の土器があるのか、土器がどのように変化していくのかを知っていただき、古墳時代の時期を推測する手がかりを見つけていただきたいと思います。1階展示室と併せてぜひご覧ください。

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2階収蔵展示の様子

[令和4年10月掲載]

  

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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