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第113回県史だより

目次

  • 記事名:鳥取県智頭町の薬草「黄連」関係資料調査について
  • 活動日誌:平成27年8月

鳥取県智頭町の薬草「黄連」関係資料調査について

因州黄連について

 黄蓮(おうれん)は、キンポウゲ科オウレン属の植物の一種です。常緑の多年草で、その根茎が健胃や整腸の漢方薬として現在も需要があります。日本の産地は主に「越前黄連」(福井県)「丹波黄連」(京都府中西部)「因州黄連」(鳥取県)で、因州黄連はほとんどが現在の智頭町で採取、栽培されてきました。

 鳥取県東部においては、1795(寛政7)年に記された『因幡志』に、自生の黄蓮を薬草として用い、また他国商人が買い付けをおこなっていたという記載があります。よって少なくとも江戸時代には利用、商品として扱われていたことがわかります。太平洋戦争前、1937(昭和12)年2月の『鳥取新報』には「林産副業生産量調査」として「黄連九九〇〇斤、一万五千円」とあり、その「町村別林産副業生産番付」には東の関脇として「黄連・六千円・山郷」と宣伝されています。智頭町は黄連栽培の適地であり、県内生産量のほとんどを占めていたといいます(注)

 黄連は杉林の下に種を散布しておこなう自然栽培の場合、収穫までに20年程度を要しますが、畑での促成栽培であれば7年程度で収穫でき、薬用成分にも変化がないといいます。

 しかし近年、安価な中国産黄連が出回ったことや、シカが急増し食害が深刻化したことで生産量は激減しました。『鳥取県林業統計』を見ると地域生産者の努力により1987(昭和62)年には9トンの生産量があったが、2005(平成17)年には0となり現在は途絶えた産業になっています。今回は、この黄連に関する資料との出会いについてです。

鳥取県内の黄連生産量の表
(表)鳥取県内の黄連生産量

黄連との出会い

 さて、平成19年(2007)、新鳥取県史編さん事業における民俗調査は東部山間部を調査地域に設定していました。そのため智頭町方面を調査することが多くありました。早春のある日、鳥取方面から智頭町市街を抜けて国道373号線を南下し、智頭町中原から県道7号線に入り智頭町新田地区あたりを自動車で走っていました。すると手入れの行き届いた杉林に白っぽい小さな花を咲かせている草が見えました。車を止めてよく見ると、それは黄蓮でした。智頭地方は黄連という漢方薬の原料となる薬草の栽培が杉林でおこなわれていたことは知っていたので、貴重な記録になるかもしれないと思い、黄連を撮影しました。

失われた黄連の探索

 それから8年ほど経過した平成27年(2015)早春、資料として黄連の写真を使用する機会がとうとう来ました。しかし肝心の保存していたはずの黄連の画像データが見つかりません。幾度かカメラや記録用ハードディスクの故障で、画像データを消失していたのでその時になくなったようです。仕方がなく改めて再撮影することとしました。

 しかしかつての撮影地である智頭町新田地区に行きましたが、杉林の中の黄連の花はもちろん葉や茎も見つけることができませんでした。かつて黄連を栽培していた方を訪ねると「もう黄蓮は見つからない」といいます。近年、シカが急増して黄連を喰い尽くしてしまったのだとのことでした。それから撮影はあきらめ因州黄連の写真を探すことにしました。かつての黄連の栽培地や、かつて因州黄蓮をまとめて販売していた智頭町森林組合などにも問い合わせましたが、写真は残っていないということでした。しかしある方から、智頭町智頭の薬草問屋大阪屋なら写真をもっているかもしれないという情報を入手できました。

薬草問屋大阪屋

 智頭町市街に大阪屋はありました。現在は洋服などを中心に販売しているようですが、よく見ると山菜なども扱っている旨の看板があります。

大阪屋の看板の写真
大阪屋にある看板

 大阪屋を訪ねると確かに黄連を扱っており、商品となる黄連根の標本や写真などもあることを教えていただきました。またここで新たな発見がありました。大阪屋は問屋として薬草としての黄連を仕入れるだけではなく、その採集や加工の道具の開発、販売、そして貸し出しもおこなっており、まだ倉庫にその用具を保管しているということでした。ここで黄連の採集、畑での栽培、採集、加工に関する写真資料及び用具を確認することができるという、黄連について調べている私としては大きな発見となりました。以後、大阪屋の皆様には多大な御協力をいただいております。

 さて大阪屋の先代は黄連の栽培や加工技術向上に大きな貢献をされた方で、多くの写真資料を残していました。その写真の中には、採集した黄連の根を干し、加工する様子の写真がありました。大阪屋のご主人は、先代が撮影した写真なのでよくわからないが智頭町駒帰あたりではないかと推測されました。

オウレンの根の写真
黄連の根
オウレンの種を採取する様子の写真
黄連の種を採取する様子(昭和53年)
オウレンの根を切る様子の写真
黄連の細根切って成形する様子(昭和53年)
オウレンの加工の様子の写真
黄連を干し、細根をバーナーで焼く様子(昭和53年)

黄連との再会

 大阪屋には在庫がない黄連採集用具もあり、とりあえず大阪屋のご主人が写真の撮影地として推測された智頭町駒帰方面に行き、黄蓮について飛び込み調査をしてみることにしました。駒帰の少し手前の智頭町福原に入り、立ち話をしている70歳代と思われる方がいました。思い切って話かけ、黄連採集加工の用具や写真を探している事を伝えると、家に黄連採集加工用具があることはもちろん、今もシカが入ってくることのできない庭で黄連を栽培していることを教えていただき、黄連の写真を撮影させて頂きました。

  これが8年ぶりの黄連との再会となりました。

現在のオウレンの写真
現在も栽培される黄連(智頭町福原にて平成27年5月撮影)

良心と偶然に支えられる調査

  今回の調査を含め、民俗学、民具研究の調査は一般の話者のご厚意による調査協力で成り立っています。またその出会いは調査者が道を歩いているところや農作業中の方に声をかけるなど偶然であることも多いのです。忙しいところ歩みや手を止めて、見ず知らずの調査者のために情報を提供していただくことによって調査や民俗学が成立しています。この黄蓮関係資料の調査も、偶然の出会いと協力いただいた方々の良心がつながって調査が進行しています。このことを真摯に受け止めて謙虚に成果を生むことが重要と思います。

 この一連の調査で判明してきた黄連の採集及び加工用具の状況については追って報告することにします。


(注)智頭町誌編さん委員会『智頭町誌 下巻』智頭町、2000

(樫村賢二)

活動日誌:平成27年8月

 

1日
3日
史料返却(八頭町、渡邉)。
資料調査(~5日、国会図書館・防衛研究所等、西村)。
黄連採集・加工用調査(智頭町、樫村)。
7日
巡回講座(鳥取県教育会)(船上山少年自然の家)。
資料調査(湯梨浜町羽合歴史民俗資料館、湯村)。
8日
巡回講座(満蒙開拓青少年義勇軍)(倉吉市交流プラザ第1研究室)。
資料調査(公文書館会議室、前田)。
11日
現代資料検討会(公文書館会議室、西村)。
19日
史料調査(鹿野町、渡邉)。
19日
資料写真撮影(境港市、樫村)。
23日
26日
史料調査(鳥取県立博物館、岡村)。
27日
史料返却(用瀬町個人宅、渡邉)。
満蒙開拓義勇軍取材対応(公文書館、西村)。
  

編集後記

 今回は、鳥取県の特産物であった黄連についての記事を書かせていただきました。現在、出荷はされていませんが、胃腸薬として愛飲される方もいて、自家用として庭の片隅で栽培されています。このような黄連ですが薬草問屋の大阪屋さんによると、かつて因州黄連を駆逐した中国産黄連の価格が高騰しており、最近も大手製薬会社からの問い合わせがあったそうです。シカの食害で天然の黄連は壊滅状態ですが、まだわずかですが、因州黄連が栽培されており、その採集加工用具、技術が伝承されています。智頭町の広大な杉林を利用した黄連栽培にはまだ可能性が秘められていると感じました。

(樫村)