第63回県史だより

目次

琴浦町篦津の河本家文書調査から

国重要文化財・河本家住宅の古文書

 今年1月の「第57回県史だより」でも紹介しましたが、新鳥取県史編さん事業の近世部会では、資料編「東伯耆(ひがしほうき)」を今年度末に刊行することとし、現在その準備を進めています。そこに収録する資料の中に、県中部の琴浦町篦津(のつ)の河本(かわもと)家文書があります。

 河本家は、尼子(あまご)氏の家臣を祖とすると伝えられ、江戸時代には代々この地の大庄屋などの要職を務めました。河本家の住宅は、茅葺の主屋を中心に、付属屋が多く残され、大庄屋の屋敷構えを良く伝えており、また、主屋からは貞享5(1688)年の棟札が確認され、建築年代の明らかな民家としては山陰地方最古の例として、昨年末に国重要文化財に指定されました。

 河本家には大量の古文書も残されており、近年の調査によって、次第にその全体像が明らかになりつつあります。近世文書だけでも、おそらく数千点におよび、時代的には幕末期を中心とするものの、江戸時代前期に遡るものも含まれ、また河本家の公私にわたる多様な情報が含まれており、この地域の歴史を知る上で、非常に重要な資料といえます。

 とはいえ、厖大な資料の全てを県史に掲載することは不可能であり、資料編「東伯耆」には、河本家が務めた大庄屋あるいは中庄屋など、郡役人としての資料の中から、重要なものを選んで掲載することとしています。

安政6年の「諸事御用日記」

 河本家文書の中に、安政6(1859)年に記述された「諸事御用日記(しょじごようにっき)」という冊子があります。当時の当主河本伝九郎は、この地域(八橋郡)の中庄屋を務めており、その日々の公務の内容を1年間にわたって記録した物です。なお、鳥取藩では通常、各郡に2~3名の大庄屋が任命され、大庄屋は管轄の村々の庄屋を通じて、藩と村との取次ぎを行っていましたが、1人の大庄屋の管轄範囲があまりに広いため、この時期には大庄屋の下に中庄屋を置いて、大庄屋を補佐させました。八橋郡では、従来3名の大庄屋が任命されていましたが、この時期は、大庄屋1名、中庄屋6名の体制となっており、河本伝九郎は中庄屋6名の内の1人でした。

諸事御用日記の表紙の写真
諸事御用日記の表紙

 この「日記」には、藩から村々への通達や、藩に提出すべき書類のこと、また、担当の村から上がってくる届けや願い、大庄屋や他の中庄屋との連絡など、さまざまな業務があったことが記されています。

ある一日の記載内容

 河本伝九郎が具体的にどのような仕事に当たったのか、その例として、2月19日に記された内容を現代風に直して紹介しましょう。

  1. 管下の村の間で起きた肥料用の海藻採取をめぐる争いについて、双方の村から提出された願書を、さらに事情を調べるよう指示して、返却した。
  2. 郡内で貧窮している村を1~2村選んで藩に届ければ、銀2貫目くらい下付されるという情報あり。
  3. 困窮している家とその救済のため必要な米の量を、村ごとに作成する帳面の雛形を受取。
  4. 今後、藩へ願書を提出する場合、いままで大庄屋・中庄屋それぞれへの控えを添えて提出させていたが、今後、共通の控え1通でよいこととし、控えは郡役所に保管することに変更。
  5. 今後村々から提出する願書には、末尾に大庄屋・中庄屋が記入する部分の紙をあらかじめ付けて差し出すよう決定。
  6. 隣郡の者が紅花(べにばな)について願書を提出している件について、自分が管轄する村々に支障があり認められないことを報告。
諸事御用日記の安政6(1859)年2月19日部分(一部)の写真
諸事御用日記の安政6(1859)年2月19日部分(一部)

 この日の記事は、ここに紹介していない記載を含め、15項目に及びます。ただし、これほど多くの情報が記される日は稀で、この日は郡役人が集まって協議する日であったため、通常より記載が多くなっていると思われますが、それにしても、郡役人の仕事が多岐にわたっていることがおわかりいただけると思います。

郡役人の実像をさぐる

 今回紹介したのは、長い1年の中の、わずか1日分ですが、年間を通じて、しばしば訪れる藩の役人への対応や、村々から上げられる願書などの実情を把握するための現地出張などに、中庄屋が多くの労力を割いていたことが窺えます。

 この資料は、中庄屋である河本伝九郎の公務についての日記ですが、この作成目的は、藩に提出するような公的なものではなく、今後の自分のための「備忘録(びぼうろく)」として作成されたものと思われます。通常の公文書には、往々にして結果や結論のみしか記されませんが、ここには、記録化されることの少ない、業務の途中経過を含めた記述が見られます。

 例えば、先に紹介した1の争論について、その後、調停のために村に入った河本伝九郎が、「藩(武士)からの話なら聞くが、郡役人の説得では納得できないから、自分たちの主張のとおり、藩に取り次げ」と村民に言われ、説得に失敗したことなどが記されています。このように、通常記載されることが少なく、かつ、よりリアルに当時の状況を伝える記述を含むこの資料は、当時の郡役人の等身大の姿を知ることのできる貴重な資料と言えるでしょう。

(坂本敬司)

最近の活動から:平成23年度の第1回新鳥取県史編さん委員会を開催

 平成23年度の第1回新鳥取県史編さん委員会を、2011(平成23)年7月8日に開催しました。

 委員会は、平成22年度の事業実績、今年度事業の進捗状況、刊行物販売状況の報告に続き、各部会の年次計画の状況と課題について、協議が行われました。

平成23年度第1回新鳥取県史編さん委員会の写真
平成23年度第1回新鳥取県史編さん委員会の協議の様子

活動日誌:2011(平成23)年6月

2日
資料調査(八頭町郡家公民館、湯村)。
県史編さんに係る協議(鳥取大学、岡村)。
3日
資料調査及び返却(県立博物館・鳥取市あおや郷土館、湯村)。
4日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、坂本)。
出前講座(境港市県立夢みなとタワー、樫村)。
5日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、坂本)。
8日
古墳測量協議(県中部総合事務所、湯村)。
鳥取学講師(鳥取環境大学、岡村)。
出前講座(日南町総合文化センター、樫村)。
9日
ロシア兵漂着事件調査(~10日、大山町・境港市・松江市、清水)。
10日
中世資料調査(~11日、岡山県立博物館・津山郷土博物館、岡村)。
13日
資料借用(八頭町郡家公民館、湯村)。
新鳥取県史編さん専門部会(民俗)開催。
20日
両墓制調査及び協議(大山町豊成、樫村)。
22日
民具(中海の漁撈用具)調査(松江市八束支所、樫村)。
23日
県史編さんに係る協議(北栄町・鳥取大学、岡村)。
27日
県史編さんに係る協議(鳥取大学、湯村)。
30日
新鳥取県史編さん専門部会(考古)開催。

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編集後記

 記事にあった河本家の住宅は、国の重要文化財となっています。その主屋は貞享5(1688)年の建築で、山陰地方の民家で建築年代が明らかなものでは最古に属するそうです。それは華美でなく控えめながらも、かつての大庄屋の威厳をはっきり感じさせます。私の郷里、水戸藩の大庄屋に近い役職である山横目(やまよこめ)の旧家に行くと、その権威の割には屋敷は小さく、はっきり質素倹約に努めたことが分かります。一方、能登半島天領の大庄屋にあたる十村(とむら)役を務めた輪島市の上時国家(かみときくにけ)の屋敷は、驚くほど立派で十村の威厳と自負をはっきり感じます。今も残る村役人の屋敷から、お国柄を感じることができます。

(樫村)

  

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