資料カタログ(古墳時代)

ここには古墳時代に使われたもので、貸出ができるものをのせてあります。
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古墳時代(その7)

古墳121 古墳121 食べ物などを盛るための器(土師器 低脚杯)
古墳時代初めごろ 羽合町長瀬高浜遺跡出土
古墳122 古墳122 食べ物などを盛るための器(土師器 低脚杯)
古墳時代初めごろ 羽合町長瀬高浜遺跡出土
古墳123 古墳123 食べ物などを盛るための器(土師器 低脚杯)
古墳時代初めごろ 羽合町長瀬高浜遺跡出土
古墳124 古墳124 食べ物などを盛るための器(土師器 低脚杯)
古墳時代初めごろ 羽合町長瀬高浜遺跡出土
古墳125 古墳125 食べ物などを盛るための椀(土師器 椀)
古墳時代初めごろ 羽合町長瀬高浜遺跡出土
古墳126 古墳126 食べ物などを盛るための椀(土師器 椀)
古墳時代初めごろ 羽合町長瀬高浜遺跡出土
古墳127 古墳127 使い方が分からない筒状の土器(山陰型甑形土器)
古墳時代初めごろ 羽合町長瀬高浜遺跡出土
古墳128 古墳128 使い方が分からない筒状の土器(山陰型甑形土器)
古墳時代初めごろ 羽合町長瀬高浜遺跡出土
古墳129 古墳129 灰色の硬い焼き物でできた食べ物などを保存した器
(須恵器 直口壺) 古墳時代終わりごろ
羽合町長瀬高浜遺跡出土
古墳130 古墳130 灰色の硬い焼き物でできた椀のふた(須恵器 杯蓋)
古墳時代終わりごろ 会見町法城古墳出土
古墳131 古墳131 灰色の硬い焼き物でできた椀のふた(須恵器 杯蓋)
古墳時代終わりごろ 会見町法城古墳出土
古墳132 古墳132 灰色の硬い焼き物でできた椀(須恵器 杯身)
古墳時代終わりごろ 会見町法城古墳出土
古墳133 古墳133 灰色の硬い焼き物でできた椀(須恵器 杯身)
古墳時代終わりごろ 会見町法城古墳出土
古墳134 古墳134 灰色の硬い焼き物でできた保存するための小さな器
(須恵器 短頸壺) 古墳時代終わりごろ 
会見町法城古墳出土
古墳135 古墳135 灰色の硬い焼き物でできた椀のふた(須恵器 杯蓋)
古墳時代終わりごろ 会見町法城古墳出土
古墳136 古墳136 灰色の硬い焼き物でできた椀(須恵器 杯身)
古墳時代終わりごろ 会見町法城古墳出土

古墳137

古墳137 灰色の硬い焼き物でできた椀のふた(須恵器 杯蓋)
古墳時代終わりごろ 会見町法城古墳出土
古墳138 古墳138 灰色の硬い焼き物でできた椀(須恵器 杯身)
古墳時代終わりごろ 会見町法城古墳出土
古墳139 古墳139 灰色の硬い焼き物でできた水筒?(須恵器 提瓶)
古墳時代終わりごろ
西伯町福成早里遺跡(早里14号墳)出土
古墳140 古墳140 灰色の硬い焼き物でできた胴体に穴があいた器
(須恵器 はそう) 古墳時代終わりごろ 
西伯町福成早里遺跡(早里14号墳)出土

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


埋蔵文化財センターについて


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