第8回県史だより

目次

まだまだ募集中、戦争体験の手記

 県史現代編の一環として、現在募集中の「孫や子に伝えたい戦争体験」手記。これまで40件(平成18年12月5日現在)の御応募をいただきました。

知事が自署した「武運長久」

翌(昭和20)年1月私にも入営通知が届きました。急いで準備してくれた女子職員から寄せ書きの日の丸の旗が渡されました。“祈る武運長久鳥取県知事武島一義”の文字に感激しました。

 当室に最初に届いた手記の執筆者は、昭和20年当時県職員だった米子市の男性でした。出征通知がもたらされると職場で日の丸の旗が準備され、最初に知事が直筆し、以下部長・課長をはじめ職員が連署しました。戦争末期の激務の最中、出征という一大事とはいえ一職員のためにわざわざ知事が自署したこと、それが職場の慣習となっていた事実に驚きます。

裸足で通った学校

ある日、校長先生の訓辞があった。「明日から全員、裸足で学校にくるように」。履く靴がある子とない子が目だってきた最後の措置に違いないことは子供心にもよく分かった。(中略)日暮れ時、石ころの間に隠れている栗のイガを裸足のまま踏んでしまうことがしばしばであった。

 国民学校6年生の時に終戦を迎えた男性の手記です。このような体験は、従来の活字資料を中心とした記録からはこぼれがちですが、今回、まさに「肌で感じた」戦争の痛みとして記録に留めることになりました。

戦地から学校へ届いた手紙

 手記募集とあわせて、当時の資料に関する情報もお寄せいただいています。

 鳥取市内の元小学校長のお宅からは、日中戦争当時の軍事郵便が発見されました。内容は、同じ村の出征兵士22人から郷土の小学校や婦人会に宛てられた手紙38点。兵士たちは、出征見送りや慰問状送付に対する謝辞のほか、勇猛果敢な戦闘の様子や占領した中国東北部の貧しい暮らし向きを記しています。「村のため、ひいては国家の為に死力を尽して御奉公申し上げる覚悟であります」と宣言される皇軍兵士の気構えは、顔見知りの同郷の先輩知人の声となって児童生徒の心に直接響き、戦意高揚につながったのではないでしょうか。村と戦争を語るうえで貴重な資料。他の記録や手記と照らしあわせながら内容をさらに検討していきます。

戦地から小学校へ届いた手紙の写真
戦地から小学校へ届いた手紙

 40件の内訳は男性が29件、女性が11件。内容は、日中戦争や太平洋戦争、満蒙開拓義勇軍などの従軍体験が16件、ソ連軍の侵攻やシベリア抑留・引き揚げに力点をおいたもの、戦時中の学校生活に関するものがそれぞれ4件、学徒動員の記録と米子市内の空襲に関するものがそれぞれ3件、他には満州での生活、鳥取県への疎開などとなっています。戦争体験は、男女、年齢、出身地や家庭環境によってさまざまです。募集期間は来年1月15日まで。あなたの体験を残してください。ご不明な点は当室まで。

(西村芳将)

室長コラム(その7):幕末に、こんな立派な女性がいた

 元号が明治と変わる慶応4(1868)年7月3日、鳥取藩では、領内の模範となる女性2名を表彰して褒美を与え、同月20日には、そのことを周知するため、表彰理由を掲示するよう手配したことが、「家老日記(控帳)」に記されている。

 表彰されたのは、八東郡富枝村(現八頭町富枝)の「うた」さんと、高草郡長谷村(現鳥取市長谷)の「すゑ」さん。二人の表彰理由を見ると、当時の女性が過酷な生き方を強いられ、その中で懸命に生きたことが伝わってくる。

 富枝村の「うた」さん(当時43才)は、但馬国(現兵庫県北部)の豪農の家に生まれ、何不自由なく育ち、富枝村で大庄屋を務める家に嫁いだ。しかし、その後婚家は次第に零落し、義父は死去、夫は18年前に藩の下働きとして江戸に出向き、そのまま江戸に留まり、同地で妻子をもうけたようで、ついには出奔し行方不明となった。「うた」さんは、それをうらむことなく、わずかな田畑の小作や山仕事に精を出し、暇があれば縄をない、筵(むしろ)を織り、草履・草鞋(わらじ)を作り、夜には着物の洗濯と縫い物をして、家計を支え、村の役も男性同様に務めた。裕福な実家からは、無理をしないで里に帰るよう言われたが、年老いた姑を残しておけないと富枝に残り、姑を養い、また二人の娘を育て、長女は他家へ嫁がせ、次女には婿を迎え、貧しいながら家内むつまじく暮らしている。その孝行ぶりは、皆が感心するところである。

 もう一人の長谷村「すゑ」さん(当時20才)は、鳥取の町で出生、まもなく長谷村の夫婦に貰われ、同じく貰われた義妹と4人家族で暮らしていた。義母は13年前から病気で歩行ができなくなり、義父は日夜仕事で忙しく、幼い「すゑ」さんが義母の面倒を見た。近隣の若者たちが遊びに誘っても、義母の病気を案じて加わらず、時に遊びに加わる時でも、すぐに家に帰った。義妹と共に、村の観音様に義母の病気平癒を毎日祈願し、義母の病状が快方に向かえば、御礼に観音様に参拝した。また、隣家の70才余の老夫婦をいたわり、水くみをしてあげるなど、心を配っている。年長の者でもなかなかできない孝行者である。

 以上が、二人が表彰された理由である。富枝村「うた」さんへは、以後毎年1人扶持(1日5合として1年分の米、1.8石)が、長谷村「すゑ」さんには、米3石が褒美として与えられている。現在の感覚であれば、「うた」さんへ毎年54万円、「すゑ」さんに90万円が与えられたことになろうか(米1石=金1両、金1両=現在の30万円と想定)。藩は、二人に多額の褒美を与えることによって、領民にこの二人のように生きることを求めた。

 確かに、二人は過酷な生活環境の中で、けなげに一生懸命働き、善行に努めた。しかし、それが藩によって顕彰され、庶民の手本とされる時、多くの女性にとっては、社会がだんだん息苦しいものになっていっただろう。史料を読みながら、立派な女性の存在に感動しながら、その一方で当時の女性への抑圧を感じ、複雑な気分になった。

(県史編さん室長 坂本敬司)

活動日誌:2006(平成18)年11月

1日
新鳥取県史シンポジウム打合せ(鳥取市役所、坂本)
2日
新鳥取県史シンポジウム打合せ(南部町、坂本)。
手記募集説明(倉吉市、西村)
8日
手記募集説明(鳥取市、西村)
9日
手記募集説明(鳥取市、西村)
10日
手記募集説明(鳥取市、西村)
12日
手記募集説明(伯耆町・大山町、西村)
13日
手記募集説明(倉吉市、西村)
14日
手記募集説明(鳥取市、西村)
16日
第2回県史編さん専門部会(民俗)開催。
「戦争体験の労苦を語り継ぐ集い」で手記募集説明(米子市、西村)。
原始古代部会高田部会長と打合せ(鳥取大学、岡村)
17日
中世部会錦織部会長と打合せ(鳥取大学、岡村)
22日
河原町みたき大学・女性セミナー研修会講師(鳥取市河原町、坂本)。
史料調査(鳥取市倉田地区公民館、西村)
24日
手記募集説明(米子市・鳥取市鹿野町、西村)
29日
手記募集説明(境港市、西村)

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編集後記

 平成18年12月3日、新鳥取県史シンポジウムが無事に終了しました。会場アンケートによると、ほとんどの聴講者の方にご満足いただけたようで、主催者側としては一安心というところです。

 ただ、多くの方はシンポの存在をチラシ・新聞などで知られたご様子。ご年配の方が多かったとはいえ、県史編さん室ホームページの浸透はまだまだだと感じました。もっとも、ホームページに期待するお声もいただいていますし、県史編さん室では今後もその充実とPRに努めていきたいと思っています。

(大川)

  

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