古代山陰道ウォークinあおいちを開催しました!

古代山陰道ウォークinあおいちを開催しました!

 令和元年10月6日(日)に古代山陰道ウォークinあおいちを開催しました。当日心配された天候も回復し、無事開催することができ、兵庫県や島根県などを含む県内外から60名の方々に参加いただきました。
青谷地域での古代山陰道ウォーク第3回となった今回は、青谷横木遺跡をスタートし、江戸時代の峠道であった養郷坂を通って、現地踏査で東側丘陵上において確認した古代道路の可能性がある切通しを訪ねる全長5kmの山登りコースでした。古代山陰道は青谷横木遺跡から東へは険しい丘陵地帯を越えて行かなければならず、青谷がいかに交通の難所であったかを、参加者の方々にも実際に体験していただけたのではと感じています。
 参加者からは「険しい峠道だが、当時、馬(駅馬)は1日でどのくらいの距離を走ることができたのか?」「切通しなどでつくられた丘陵上の古代の道路は石敷きだったのか、側溝などもあったのか?」「県西部でも古代山陰道ウォークを開催してほしい。」など数多くの質問や感想をいただきました。
 今後は、丘陵上で確認された切通し等の発掘調査などを実施していく予定です。その調査成果も随時お伝えしていきますので、ご期待ください!

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ウォーキング位置図

青や横木

青谷横木遺跡での説明

 

切り通し

丘陵上で発見され切通しでの説明

養郷坂

江戸時代の峠道(養郷坂)と確認された切通しが交わる付近での説明

 


  

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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