古代山陰道に関する第6回踏査続報

古代山陰道に関する第6回踏査続報

 古代山陰道の研究する前回報告の付けたりです。第6回踏査で合わせて行った、青谷町と気高町の町境から集落に向かう部分の踏査状況です。
この部分は江戸時代の鹿野往来と呼ばれる街道が通り、「会下坂(えげざか)」と呼ばれています。最近まで使われていた会下坂はかなり曲がりくねった道なのですが、明治時代の地図には直線的な道が描かれており、古代山陰道の推定ルートの一つとして考えられてきました。
踏査を行った結果、この直線ルート上の一部に、切通し状の地形が残っていることを確認することができました。江戸時代の道にしては幅が広く、直線的な線形からも、やはり、江戸時代の会下坂は古代山陰道のルートを踏襲してつくられた可能性がありそうです。
 次回は、前回報告した青谷町養郷の丘陵上にある切通しと会下坂を結ぶルートの踏査状況をお伝えします。ご期待ください。

      けたかちず

踏査位置図

      えげざか

確認された会下坂に残る切通し状の地形。

      道標

会下坂を登りきったところにある文政12年(1829年)の道標。「右 青屋道 左 蔵内道」と記されている。

  

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 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
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