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一番初めは一宮(手まり歌)米子市今在家

平成7年(1995)3月11日、米子市今在家で採集

歌詞

一番はじめは一宮
二また日光東照宮
また佐倉の宗五郎
四また信濃の善光寺
五つは出雲の大社
六つ村々鎮守様
七つは成田の不動様
八つ八幡の八幡宮
九つ高野の弘法さん
十で東京明治神宮
これほど心願かけたのに 波子の病は治らない
ゴウゴウゴウゴウ 鳴る汽車は 武男と波子の生き別れ
二度と会われぬ汽車の窓 泣いて血をはく不如帰
(伝承者:大正8年生)
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解説

  この歌の背景は、徳冨蘆花の小説「不如帰」から題材をとっている。
  この小説は明治31年11月から翌年5月まで『国民新聞』に連載されたもので、海軍少尉川島武男と妻・浪子の愛情と悲劇を描き、非常に人気が高かった。
 この歌では元々独立して存在していた「寺社づくし」の歌の後に、武男と浪子の別れの部分を加えて作られたものである。
 全国的に広くうたわれていたが、東部の八頭郡智頭町福原の歌を紹介する。
                      
  一番初めが一の宮 二は日光東照宮 三で讃岐の金比羅さん 四に信濃の善光寺
  五つ出雲の大社 六つ村々鎮守さま 七つ名札の不動さま 八つ八幡(やわた)の八幡(はちまん)さん
  九つ高野の弘法さん 十で東京の真言寺 これほど信心したけれど 浪子の病は治らない
  ごうごうごうと 鳴る汽車は 武男と浪子の生き別れ 二度と会えない汽車の窓 鳴いて血をはく不如帰 
  (伝承者:大正4年生)

 後半が少しふくらんでいる歌があった。隣県の江津市桜江町川越のものである。これは手まり歌ではなくお手玉歌として、聞かせていただいたのである。

  一番はじめが一宮 二また日光中禅寺 三また佐倉の宗五郎 四また信濃の善光寺
  五つで出雲の大社 六つで村々天神様 七つ成田の不動様 八つ八幡(やわた)の八幡(はちまん)宮
  九つ高野の弘法様 十で東京の日本橋 これほど心配かけたのに 浪子の病は治りゃせぬ
  武男が戦地に向かうとき 白い真白いハンカチを うちふりながらも ねえあなた 早く帰りてちょうだいね
  ゴウゴウゴウと鳴る汽車は 武男と波子の生き別れ 二度と会われぬ汽車の窓 なして血を吐く不如帰
  (伝承者:大正9年生)

 ほぼ同様の形でうたわれていた。


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