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うちの後ろの茶々の木に(手まり歌)日南町印賀

昭和39年(1964)8月8日、日南町印賀で採集

歌詞

うちの後ろの茶々の木に 雀が三羽来てとまり 一羽の雀が言うことにゃ
うちの座敷も狭(せば)座敷 おまえの座敷も狭座敷
畳三枚 ござ三枚 合わせて六枚敷きつめて しっぽりかっぽり泣かしゃんす
何が不足で泣かしゃんす 何だり不足はないだども わしが弟の千松が
西の川原へ金(かね)掘りに 一年待ってもまだもどらん 二年たってもまだもどらん
三年ぶりのついたちに 人をごせとて状が来て人はやらんがわしが行く
後の田地はどうなさる 親に三貫 子に五貫 四十五貫の銭金(ぜにかね)は高い米買うて船に積む
安い米買うて船に積む さあさ押せ押せ都まで 都もどりに何もろた 一に簪(かんざし) 二に鏡
三に更紗(さらさ)の帯もろた くけてくだされ叔母ごさま くけてやろうと思えども
帯にゃ短し襷(たすき)にゃ長し 山田薬師の鐘の緒 鐘の緒
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解説

 何とも哀れな物語ではある。千松を主題としたこの歌は、江戸時代にできた歌舞伎や人形浄瑠璃の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」(通称「先代萩」)の中で、その一部が引用されている。島根県指定無形文化財である益田糸操り人形の語り教本から、その部分を紹介しておく。

…思い廻せば此(この)程から唄ふたうたに千松が七ツ八ツから金山へ一年まて共まだ見えぬ二年待て共まだ見えぬとうたの中なる千松は待つ甲斐あって父母に顔をば見せる事もあらう同じ名の付く千松のそなたは百年待ったとて何んの便りがあろうぞいの三千世界に子を持った親の心は皆な一つ子の可愛いさ毒な物食ふなと云ふて叱るのに毒と見えたら心見みて死んでくれいと云ふやうなどうよく非道な母親が又と一人あるものか…

 人形浄瑠璃では、江戸初期の仙台藩のお家騒動として設定している。若君鶴喜代君を毒殺する陰謀を知った乳母の政岡は、若君が毒菓子を食べるのをやめさせようとするが、君は言うことをきかず食べようとする。それを察知したわが子、千松は身代わりにその菓子を食べた途端、毒婦八汐の刃で絶命する。後に政岡が手まり歌の詞章を思い出しつつ、劇中でうたう詞章にこの部分がある。
 また、天明5年(1785)に作られた義太夫「伽羅先代萩」の中にも千松が若君にこの歌をうたって慰める次のところがある。

こちのうらのちさの木に ちさの木に 雀が三疋(ひき)止まって止まって
一羽の雀が云ふことにゃ 云ふことにゃ アアコレ夕べ呼んだ花嫁御 花嫁御(中略)
わしの息子の 千松が千松が(中略)七つ八つから金山へ金山へ
一年待てどもまだ見えぬ(下略)

  そうして考えれば、この手まり歌の古さが分かるのである。


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