防災・危機管理情報


  

山陰探訪
リンク

因幡の古墳

伯耆地域では

鳥取県の中・西部に相当する伯耆地域では、総数6500基以上の古墳が知られています。このうち東伯耆では、東郷池を中心とする地域(湯梨浜町)に古墳が密集しています。橋津4号墳や宮内狐塚古墳・北山古墳といった県下最大級の前方後円墳の存在からは、この地域が政治的に中心となるところであったことがわかります。

 

西伯耆では淀江平野周辺(米子市)や手間平野周辺(南部町)が古墳密集地域として知られています。両地域とも大型の前方後円墳や横穴式石室があるなど、古墳時代を通じて有力な首長がいたことが窺えます。また大山町の日本海沿岸部には、県内における切石造横穴式石室の4分の3が集中しており、この地域の後期古墳の大きな特徴となっています。

宗像古墳群(むなかたこふんぐん)

宗像神社背後の丘陵部にある古墳群で、3基の前方後円墳を含む11基からなります。このうち1号墳は全長37mで、直径28mの後円部に2基の横穴式石室を持っています。第1石室は長さ3.2m、奥壁の幅2.0mの割石積み両袖式で、北部九州地方の石室と平面形が共通しており円頭柄頭・直刀・銀環・金銅製帯金具・玉類・須恵器などの副葬品が出土。また北側の第2石室では、直刀・銅鈴・水晶製切子玉などがありました。この古墳群は出土遺物から6世紀代をとおして形成されたと考えられています。

福市考古資料館(ふくいちこうこしりょうかん)

国史跡福市・青木遺跡に隣接する資料館で、同遺跡のほか、米子市内から出土した資料が展示されています。

陰田1号墳(いんだ1ごうふん)

陰田古墳群は島根県との県境に近い丘陵上にあり、前方後円墳を含む約60基からなる古墳群です。このうち1号墳は、古墳時代後期(7世紀)の古墳で、日野川左岸では最大規模の玄室長3.4mの両袖式横穴式石室を見学することができます。

また、周辺には6世紀後半~8世紀前期にかけて50基ほどの大規模な横穴墓群がつくられたことでも知られています。

石州府1号墳(せきしょ1ごうふん)

1号墳は大山山麓の丘陵地に展開する石州府古墳群のなかにあります。直径約40m、高さ6mの大型円墳で、円墳としては岸本7号墳(伯耆町)に次ぐ大きさです。南に開口する全長7.5mの横穴式石室は巨石を用いてつくられ、玄室の奥行4.4m、幅2.5m、高さ3mもあります。

岸本7号墳(きしもと7ごうふん)

日野町右岸にある岸本古墳群の中心をなす古墳です。直径45m、高さ5mの大型円(方)墳で、県内では最大級のものです。

内部には両袖式の横穴式石室があり、玄室の奥行き2.7m、奥壁の幅2.3m、高さ2.15mを測ります。奥壁・側壁・天井は各1枚の板石で構築され、隙間には小さな割石が詰められています。

副葬品は見つかっていませんが、墳丘上で須恵器が出土しています。

吉定1号墳(よしさだ1ごうふん)

日野川右岸、細見神社境内にある直径約10mの円墳で、横穴式石室が南側に開口しています。石室は両袖式で腰石上に扁平な石を小口積みされています。また壁全体が赤く塗られています。玄室は奥行5.8m、奥壁の幅2.3m、高さ1.9m。羨道は一部埋没しています。

こうした特徴は初期の横穴式石室に見られるもので、本県における横穴式石室の受け入れを考える上で貴重です。また、石室内から、鉄刀や須恵器が出土しています。

貝田1号墳(かいだ1ごうふん)

貝田集落の東北約600mの林にある直径8.5mの円墳で、両袖式の玄室が残っています。玄室の奥行は2.2m、高さ1.5mで小型の石材を積み上げ、壁が内側に傾斜しています。すでに副葬品は持ち出され残っていませんでした。

普段寺古墳群(ふだんじこふんぐん)

大安寺西南の丘陵上に、7基の古墳が並んでいます。この北端には全長23mの前方後方墳(1号墳)があり、後方部から鏡・管玉・剣が出土しています。このうち鏡は三角縁唐草文帯二神二獣鏡と呼ばれるもので、安来市大成古墳などと同型です。

殿山古墳(とのやまこふん)

殿山丘陵上にある前方後円墳で、全長108m、後円部の直径は58mあります。埋葬施設は不明ですが、墳形から中期ころと考えられます。その規模からこの地域で権力をもった首長が葬られているのでしょう。山陰最大級の規模を誇る古墳です。

Copyright(C) 2006~ 鳥取県(Tottori Prefectural Government) All Rights Reserved. 法人番号 7000020310000