諸木集落の後方台地上にある前方後円墳で、全長55m、後円部の直径は32mあります。ここは盗掘を受けているものの、墳丘の保存状態は良好です。また埋葬施設は不明ですが、円筒埴輪や人物埴輪が出土しています。人物埴輪には三角帽子をかぶり、耳の辺りから巻いた髪が長くたれたものと、丸つばの帽子をかぶったものがあります。中期後半ごろの古墳と考えられています。
向山古墳群と瓶山古墳群からなる向山古墳群は、全長約400mの独立丘陵上につくられた16基の古墳群です。向山古墳群は前方後円墳6基、方墳1基などがあります。瓶山古墳群は、前方後円墳2基、円墳2基、方墳2基などがあります。5世紀末から6世紀末ごろに築かれた古墳群で、この時期に大山北西麓を治めていた豪族達の墓域であると考えられており、前方後円墳が集中することからこの地域の首長系譜をたどることができます。西伯耆の古墳時代の政治動向や、他地域との交流を知るうえで学術的価値の高い遺跡であり、国史跡に指定されています。現在は、古代伯耆の丘公園として一般公開されています。出土品は上淀展示館で見ることができます。
本州唯一の石馬が出土したとされる全長61.5mの前方後円墳です。石馬は昭和34年に国の重要文化財に指定されました。体調1.5m、高さ0.9mで頭部と胴部はほぼ完在し、後脚も残るなど非常に保存状態のよいものです。九州との関連がうかがわれますが、石材は大山山麓に産する安山岩が使われています。
上淀廃寺の壁画、稲吉角田遺跡から出土した弥生時代の絵画土器など、淀江から出土した一級の資料が展示されています。
向山丘陵北東端の向山1号墳は全長52mの前方後円墳で、巨大な横穴式石室があることから、古くから岩屋古墳と呼ばれています。後円部に築かれた全長9mの大型切石造横穴式石室は、この地域を代表する石室です。また後円部東裾部からは人物・水鳥・馬形埴輪などが出土しています。6世紀後半頃の築造と考えられています。
天神垣神社裏山にある前方後円墳です。全長は35mで墳丘に葺石があるほか、家形・盾形・円筒埴輪などが出土しました。後円部には竪穴式石室が2基あり、各石室からは三角板革綴短甲や衝角付冑、鉄剣、内行花文鏡、500点以上の勾玉や管玉がみつかりました。中期後半頃築造された古墳と考えられます。
向山丘陵上の南西端にある、全長48.5mの前方後円墳です。後円部には両袖式の横穴式石室があり、箱式石棺も確認されています。石棺からは人骨のほか、金銅製冠などが出土しました。冠は畿内色の強いものとして注目されます。
孝霊山東麓に展開する前方後円墳3基を含む合計108基の古墳群であり、県内屈指の密集度を誇ります。
このうち1号墳は直径25m、高さ3.5mを測る円墳です。北西に開口する両袖式の横穴式石室を持ち、玄門は中央部を方形にくりぬいて造られています。
2号墳は1号墳の南西にある前方後円墳で、全長31mを測ります。長さ3.3m、幅2.0m、高さ2.0mの切石造の石室があります。
晩田山西側の山裾に位置する小規模な後期古墳。いずれも墳丘は削られていますが、横穴式石室が露出しており、特に2号墳には切石の繰り抜き玄門が残っています。
晩田山古墳群にある、一辺が18mの方墳です。盗掘により大きく破壊された切石造の横穴式石室が残っています。出土遺物から古墳時代終末期の築造とみられ、南方500mにある上淀廃寺との関連が推測されています。