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調査研究(古代山陰道)

特別講演会「青谷の古代山陰道が語るもの」を開催しました!

 令和2年1114日(土)に大阪大学大学院市大樹教授を講師にお招きし、特別講演会「青谷の古代山陰道が語るもの」を開催しました。地元青谷町の体育館を会場とし、当日は定員いっぱいの99名の参加者にお越しいただきました。

 まず、講演に先立ち、センター職員が昨年度と今年度行った発掘調査の概要を報告し、古代官道として国内初の発見となったつづら折りの道路遺構についてや丘陵上の道路遺構が盛土や切土を駆使し5パターンもの多様な道路工法でつくられたことなどを紹介しました。 

 市先生の特別講演では、駅伝制と呼ばれる古代の交通制度について、中央から地方へは最も都に近い国に伝えれば、あとは国から国へ順次伝達するシステムであり、反対に地方から中央へは各国から直接中央に上って報告しなければならず地方の負担が大きかったこと、民衆も庸調などの税を都まで直接運ぶ義務を課せられただけではなく、駅家や駅馬は利用できず、食料や宿泊先もすべて自前で用意しなければならなかったことなど、あくまで国家統治のためにつくられたシステムであったことが述べられ、たいへん興味深いお話しでした。

 参加者からは「幹線道路と山陰道など七道に分けたブロック化による統治の構図が良く分かった。」、「現地で実際にみた古代道路について文字資料でも知ることできたのが面白かった。」などの感想をいただきました。

 質問もいくつかいただきましたが、コロナウイルス感染拡大防止の観点や時間的制約から当日お答えできなかった質問については、講師と調整したうえで、後日ホームページで回答します。また、残念ながら今回参加できなかった方々もいらっしゃると思いますので、講演会の記録集を作成する予定にしております。ぜひお楽しみにお待ちください。

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市先生ご講演のようす


専門家による古代山陰道の現地指導について

 令和2年度2回開催した発掘調査委員会はいずれもWeb会議での開催となりましたが、新型コロナウィルスの感染状況を見ながら、ようやく9月から10月にかけて委員の先生方や文化庁の調査官に現地で、道路遺構について指導や評価をいただきました。

 委員の先生方からは、「両遺跡の道路遺構もつくり方が共通しており、今までの調査成果も合わせると、古代山陰道とみてよい。」「養郷狐谷遺跡の道路遺構や現地形に残る切通しなどの道路痕跡は、丘陵尾根を走る古代官道の景観を良く残している。」「養郷宮ノ脇遺跡のつづら折りの道路遺構は、今後他の地域でも参考とされる重要な成果である。」などの評価をいただきました。また、追加で調査すべき箇所についてもご意見いただきました。

 指導いただいた結果をもとに、現在、追加調査を行っており、1114日(土)に開催する講演会「青谷の古代山陰道が語るもの」などでその成果についてもご報告します。

 また、講演会では、発掘調査委員の一人である大阪大学大学院市大樹教授に「日本古代の交通と地方社会」と題し特別講演をお願いしております。

調査指導風景1

調査指導風景2

[令和2年11月掲載]


「FM鳥取レディオバード」に電話出演しました!

  FMとっとりから依頼いただき、令和2年10月9日(金)午後1時15分から「FMとっとりレディオバード」に電話出演しました。番組内では、パーソナリティーの山下弥生さんとロジャーさんと「古代山陰道は幅9mもあるのですか。」「山の中を歩いて古代山陰道を見つけるなんて宝探しみたいで、ロマンがありますね。」などと楽しくおしゃべりしながら、現在行っている古代山陰道の発掘調査や10月17日(土)に開催する第2回古代山陰道現地説明会についてPRしました。
 11日(日)12時30分頃から再放送されますので、お聞き逃しの方は、ぜひ、お聞きください。

 第2回古代山陰道現地説明会もまだまだ受け付けておりますので、奮ってお申し込みください。

 

FMとっとりレディオバード82.5fm⇒http://www.radiobird.net/

 [令和2年10月掲載]


全国初!!つづら折りなどの古代山陰道をYouTubeにupしました。

YouTubeはこちらから

  ↓

養郷宮之脇遺跡

養郷狐谷遺跡

[令和2年10月掲載]


古代山陰道の現地説明会を開催しました!

 令和2年9月27日(日)に古代山陰道現地説明会を開催しました。当日は心配していた天候も次第に回復し、地元の青谷町の方をはじめ89名もの方に参加いただきました。コロナウイルス感染拡大防止のため、解説時間を10回に分けて行い、国内初の発見となったつづら折りの道路遺構を少人数でじっくりご覧いただきました。

 参加いただいた方からは「古代山陰道がどのように険しい山を乗り越えたかが分かった。」「つづら折りの道路を馬に乗り往来していたのを想像し、古代の人々の苦労が垣間見えた。」「さらに東側の旧気高町域や青谷西側のルートもぜひ調査してほしい。」などの感想や要望をいただきました。

 今年度の発掘調査は間もなく終了しますが、今後も調査成果の取りまとめを行うなどして、遺跡の価値を引き続き皆様にお伝えしていきたいと思います。

古道に沿って残る古代道路の痕跡部分で道路側溝が見つかった様子をご覧いただきました。

現地形に残るつづら折りの古道を歩いて、気分はもう古代人?

絵巻物に描かれたつづら折りの道をパネルで紹介しながら、古代道路を想像していただきました。

当日の現地説明会資料はこちら⇒現地説明会資料

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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