「鳥取県埋蔵文化財センターの名品」の名品紹介

木包丁って、何?「鳥取県埋蔵文化財センターの名品」の名品紹介(その6)

 突然ですが・・・。

 「石包丁(いしぼうちょう)」ってどんな物かご存じでしょうか?

 学校の歴史の時間にもよく登場する道具なので、ご存じの方も多いかと思います。石包丁は弥生時代に使用された石器で、田んぼに実った稲穂を摘み取るために使われました。

 では、「木包丁(きぼうちょう)」って、ご存じですか?

 石包丁に比べると、馴染みのない方も多いのではないでしょうか。実は、稲穂を摘み取る道具は石製の石包丁のほかに、木製の木包丁もありました。石に比べ、木は朽ち果てて残りにくいですが、県内では青谷横木(あおやよこぎ)遺跡や青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡など低湿地の遺跡を中心に一定量出土しており、当時はかなり使用されていたことがわかります。刃縁に対して木目が斜行するものが多く、横断面が湾曲しているものも認められます。木目が斜行する造りの方が摘み取りやすく、湾曲した形状は手にフィットしやすいことが考えられます。

 青谷横木遺跡や青谷上寺地遺跡の木包丁には「ヤマグワ」製のものが多いようです。ヤマグワといえば、花弁高坏など秀麗な木製容器にも多く使用されていましたが、前述した木目や断面の特徴とあわせて、使用されなくなった木製容器を木包丁に転用した可能性が指摘されており、貴重な資源の枯渇を防ぐため、リサイクルが行われていた可能性が考えられます。

木包丁(青谷横木遺跡)

花弁高坏(青谷上寺地遺跡)

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今回ご紹介した物も含め、現在、鳥取市歴史博物館で開催中(無料で観覧いただけます)の「鳥取県埋蔵文化財センターの名品」で展示している遺物を掲載した図録を、当センター及び鳥取市歴史博物館で販売しています。


「鳥取県埋蔵文化財センターの名品」の名品紹介(その5)

 木製品の製作場?

 木材や骨などは、酸性土壌の多い日本では、通常、腐食して土に返ってしまうことがほとんどです。しかし、地下水が豊富で水位の高い低湿地では、乾燥による収縮を防ぎ、酸素が遮断されることによって、腐食を進めるバクテリア等の活動がおさえられ、こうしたものが残りやすくなります。今回展示している栗谷(くりたに)遺跡や桂見(かつらみ)遺跡、高住井手添(たかずみいでぞえ)遺跡といった所では、こうした条件により、木製品がよくみつかっています。

 栗谷遺跡と桂見遺跡では、ケヤキ製の杓子(しゃくし)と製作途中の未成品がみつかっており、当時の製作のあり方を考える上で大変重要です。特に栗谷遺跡のものは、水が湧く貯蔵穴内から出土しています。まだ金属器がなかった縄文時代では、木材を加工するのに、水漬けをすることで、加工しやすくなると思われ、製作する間は、常に湧水のある所に保管されたと思われます。

 また、栗谷遺跡と高住井手添遺跡では、編みカゴが出土しています。特に高住井手添遺跡では、河川内から13個体分が出土し、さらに素材であるヒノキのヒゴの束が数カ所で出土しています。また、この河川では大きく3カ所で大木を横倒しにして杭でとめて、水流や水量の調節を行っていたようで、加工しやすくするために、水漬けをしてカゴづくりをこの場でしていたと思われます。

 木製品をつくるには、水が常に豊富にある場所が必要不可欠であり、こうした湧水点や河川などは、飲み水や動植物の洗いなどとあわせて、重要な場所であったと考えられます。

桂見遺跡出土杓子

高住井手添遺跡出土カゴ1

高住井手添遺跡出土カゴ2

高住井手添遺跡河川

カゴ素材束


「鳥取県埋蔵文化財センターの名品」の名品紹介(その4)

  県内東西の縄文集落

 鳥取県の縄文時代の遺跡で著名なものとして、鳥取東部の智頭町にある智頭枕田(ちづまくらだ)遺跡があります。縄文時代後期(約3,500年前)を中心とした遺跡で、石囲炉(いしかこいろ)をもつ竪穴建物が数多くみつかり、この時期の西日本最大級の集落遺跡と言われています。

 今回展示している大山町の殿河内(とのがわち)上ノ段大ブケ遺跡の出土品も、ほぼ同時期のもので、多くの土器や石器、また珍しい人面土製品もみつかっています。

 石囲炉をもつものを含め5棟の竪穴建物がみつかっているだけでなく、長さ73cm、直径30cm、重さ84.5kgの大型の石柱(せきちゅう)が立ったままでみつかり、県内では例のない祭祀的な側面をもつ大規模な集落遺跡と考えられます。この石柱は現在、当センターの連携展示「埋文センターのめいひん」で9月25日まで展示しています。

 

       人面土製品

 

          石柱出土状況

 


「鳥取県埋蔵文化財センターの名品」の名品紹介(その3)

 県内最古の縄文土器

 今から約12,000年前になると、温暖な気候へと変化し、現在とほぼ同じ日本列島が形づくられ、動植物の種類も変化しました。そして、この大きな変化に適応した縄文文化が生まれてきます。この縄文文化の中で新たに出現したものの1つとして土器があります。土器は煮炊きを可能にすることから、利用できる食材の幅を大きく広げることを可能としました。

 当県最古の土器は、高住井手添(たかずみいでぞえ)遺跡などから出土した縄文時代早期(約7,500年前)の押型文(おしがたもん)土器です。門前(もんぜん)第2遺跡からも、やや時代が下りますが、約7,300年前の押型文土器が出土しています。土器の表面には楕円形やジグザグの山形文が一面に広がっており、これらは木の棒の表面を削り、乾燥前の土器の表面に転がして文様をつけています。いちいち1つ1つの文様をつけていくのではなく、棒を回転させることによって効率的に連続した文様をつけていく当時の人々の工夫が分かります。ちなみに門前第2遺跡では、配石遺構(はいせきいこう)と呼ばれる石の集中する箇所から押型文土器が出土しています。配石遺構をお墓とする説もあり、そう考えると県内最古のお供え物と考えることもできます。

高住井手添遺跡出土押型文土器(楕円文)

門前第2遺跡出土押型文土器(山形文)

楕円文

山形文

門前第2遺跡配石遺構


「鳥取県埋蔵文化財センターの名品」の名品紹介(その2)

 中国山地を越える旧石器人

 今回ご紹介するのは、大山町にある名和小谷(なわこだに)遺跡出土の約20,000年前の国府型(こうがた)ナイフ形石器です。ナイフ形石器と言いますが、実際は木の棒の先につけて槍先のように使ったと思われます。長さ7.8cm、幅2cm、最大厚1.2cmの細長い石器で、石は隠岐島産の黒曜石です。当時、隠岐島とは陸続きであり、歩いて石を取りに行くことができました。またこの石器は「瀬戸内技法」と呼ばれる技法でつくられたもので、その名の通り、当時は陸地であった瀬戸内海の周辺や近畿地方でよく見られるものです。

 山陰の石材を用いて山陽や近畿の技術でつくった、中国山地を越えたダイナミックな旧石器人の移動を物語る資料です。

名和小谷遺跡出土「国府型ナイフ形石器」 


「鳥取県埋蔵文化財センターの名品」の名品紹介(その1)

 鳥取県最古の人類の痕跡

 いよいよはじまりました、鳥取市歴史博物館との共同展覧会「鳥取県埋蔵文化財センターの名品」。新型コロナウイルスの影響で、展示会場での詳しい解説ができませんので、フェイスブックやホームページ上で展示中の名品について、なるべく詳しくご紹介していきたいと思います。

 まずご紹介するのは、当県最古の人類の痕跡である、下甲退休原(しもぎたいきゅうばら)第1遺跡出土石器です。出土した地層から、約35,000年前の旧石器時代のものであり、安山岩や隠岐島(おきのしま)産の黒曜石を使用しています。中でも石器ブロックと呼ばれる石器が集中している所では、出土した小さく割られた石同士を接合することができました。

 これは同じく展示している豊成叶林(とよしげかのうばやし)遺跡出土石器でも同様で、主に用いられた玉髄(ぎょくずい)の細かく割られた石を元の石の姿に近い形まで接合することができました。当時の人々が、その場で原石を叩いて石器を作っていたことが分かります。大山等の火山起源の土に覆われている為、石しか残っていませんが、その接合状況からは、1つの石からなるべく多くの石器をつくりだそうとする当時の人々の意思が感じられます。

 下甲退休原第1遺跡出土石器 

  豊成叶林遺跡出土石器

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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