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禅問答(倉吉市湊町)

昭和55年(1980)9月17日、倉吉市湊町で採集

語り 

  これは昔の話だけれどねえ。昔々、和田に定光寺という大きな寺があった。そこによいおっさん(住職のこと)が来られた。そのことを聞いたのが鳥取の天徳寺さんだって。
「なんと、和田の定光寺にええおっさんが来られたちゅうことだが、いっぺん、問答をかけに行かしてもらいます」という使いが定光寺に来たのだって。
 そうしたところが、定光寺のおっさんが、
「はあて、困っちゃったがなあ。わしゃ寺ぁ金で買ぁてきただけんなあ。わしゃ問答なんかのことを知らんだが」と本当にそれが苦になって苦になって困っておられた。
 ところで、その和田の定光寺の十六羅漢さんというのが、そのころたいそう流行って、そこへ参る者はどのような願いごとでも聞いてもらえるということで、参る者が多かった。 さて、その和田にチョチ兵衛という者がいて、このチョチ兵衛が、
「おら、いっそのこと百姓なんかやめて、饅頭屋(まんじゅうや)にならあかい」ということで饅頭屋になった。
 そして、「今日は餡(あん)が顎(あご)について食われない」「今日、餡が柔らかかった」と言って、饅頭だけはどうしてもうまく行かなかったのだって。
 そうしていたところが、嫁さんが、
「お父っつぁん、大きな饅頭にして安うに売りゃどがぁならえ」と言った。
「うん、そうだわ。大きな饅頭だったら、ちいたぁ顎についてええし、なんでもええわ、がいな饅頭こしらえようや」ということになって作ったら、大きいのが評判になったって。それでたいそう流行ったのだって。
 いつもぞろぞろぞろぞろ饅頭買いが来る。しかし、それは流行ってよいけれど、おっさんがひどくこのごろやつれてこられたので、
「な-んと、和尚さん。あんた、このごろどこぞ具合いが悪いことはないかな」とチョチ兵衛が聞いたら、
「おらなあ、どこも悪いこたぁないが」
「だけれど、おらが一ヶ月ほど饅頭屋でここ借りておるけれども、あんたはだんだん何だか弱られるようなだが、診てもらいなはんしぇよ、お医者さんに」
「ええ、別にどこが悪いちゅうことはないだけん」。
 しかし、チョチ兵衛が再三聞くものだから、それでとうとうおっさんも、
「じつはなあ、チョチ兵衛さん、天徳寺さんが三月の十六日に問答掛けに来るのに、なんとわしゃ問答知らんだいな」
「問答ちゅうようなもなぁ、算数みたあなこたぁにゃあだらあがな。まあ、二二が四、ちいことにならあでも、きゃ、ええ加減なそれに間に合ぁちゅうことになりゃええだらぁがな」
「うん、まあなあ、そういうやぁなことだ」
「ま、それなら、任せなんせ、おれに。おれが代わって勤めてあげるわいな」てチョチ兵衛が言っただって。
 そうしたところが、いよいよ三月の十六日になって、昔のことだから天徳寺さんがお供をぞろぞろと連れて上井(あげい)から行列が続いたのだって。そうして倉吉の大岳院が中宿で、そこまで来られ、ちょっと落ち着き場で休んで向こうへおったのだって。
 そうしたら、それからチョチ兵衛が門のところで饅頭を売っており、そうして、
「はあ、二銭だ、二銭だ。饅頭、二銭だ」と大きな声をするものだから、定光寺さんが、
「まあ、チョチ兵衛があがなこと言って、おれに任せなんせ、言ったけど、なんだあ、わは饅頭ばっかり売っとってからに。おりゃどがぁにするだ。こりゃ困っちゃったがや」と言っておられたところ、そのチョチ兵衛が走って上がって来て、
「問答を出しなんせ、出しなんせ。はい、はい」という具合いで服装を一式借りて整えていたところ、天徳寺さんがいよいよやってきて定光寺の段々を上がって、そうして白いホッスを縦にシュッとふって、次に横にパーパイとふられたら、チョチ兵衛も同じように、
「おれもやったるかい」とやったのだって。
 そうしたところが、向こうが一礼された。向こうがしたなら、また、こちらもしようとチョチ兵衛も同じようにしたら、今度は天徳寺さんは手を大きく円くし饅頭のようにされたのだって。するとチョチ兵衛は、
「なんだい。この天徳寺、おれを饅頭屋とみたな。よし、いつもは二銭だけど、こがながいな寺の和尚さんなら、三銭でもよい」と指を三本出した。ところが、相手は今度は指を二本出されたのだって。それでチョチ兵衛は二銭のものを三銭で売ろうと思っていたら、それより高くは買わないのか。五と出したが、あれは何だろうかと思ったが、すぐ、-ああ、五つごしぇ-ということだな、と思って、それで、
「うん」と言った。そうしたとこらが天徳寺さんが、
「けっこう、けっこう」と言って帰られかけたので、
「いや、ちょっと待ってください。昼の馳走もちゃんと用意してありますのでどうぞ」と言った。
 そうしたところが、
「いやーぁ、ご馳走なんかは一つもいらん。ああ、これでなあ、わしゃ満足した。定光寺にはええ和尚が座られた」と言って帰られたのだって。
 そして、その和尚さんは大岳院まで帰ってから話されたのだって。
「まーあ、りっぱな和尚だ」
「今日の問答は、どがぁな問題を出されたかい」
「はあ、わしは地球と出したらなぁ、なら、向こうは三千世界と言われた。それでは日本は、って言ったらなぁ、眼(まなこ)にある、と言う。五界はないかって言ったら、うん、て言われた。そいでなあ、ように満足した」
「あーあ、それはりっぱな問答だったし、よかった、よかった」と、大岳院さんの方では言われていたと。
 ところが、チョチ兵衛の方では、ちょっと違っていた。
「なんとおまえは、どがぁな問答だった」
「なーんだ、おれ、饅頭屋とみとったと思って、大饅頭と出いたけえ、三銭だ、と値上げしたった。そうしたところが二銭に負け、言ったけえ、アカベーて言ってやった。そがしたところが五つくれて言われたけえ、よし、とこうやった。饅頭の問答だった」
「ああ、そうか、そうか」。
 聞いてみたところが、そういう問答というものは理屈にはまればそれでよいので、それで両方とも満足されたっていうことだって。
(伝承者明治40年生)
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解説

 昭和55年9月17日に聞かせていただいた。この話はれっきとした実在の地名や寺の名前が出てくるところから、伝説のように聞こえるけれど、それはどこにでもある昔話が、倉吉市の中でたまたま固有名詞を取り込んで語られるようになっただけであり、「こんにゃく問答」として分類されている。


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