国際忍者学会松江大会へ参加してみたの段

2025年9月13、14日、島根県松江市くにびきメッセで開催された、第8回国際忍者学会に参加してきました。聞き慣れない学会ですが、全国で唯一の忍者学講座を持つ三重大学の国際忍者研究センターが主催する学会で、歴史や文学、武道、忍術、科学の専門家などが集まる日本の忍者研究のメッカです。
全国から選りすぐりの忍者研究者と忍者たちが集結した学会では、島根大学教授の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)氏による基調講演「城下町松江の形成・発展と忍術・兵法―歴史地理学の観点から―」を皮切りに、次々と最新の研究成果が報告されました。私のお目当ては、『徳川家康と服部半蔵忍者隊』の一員である、現役忍者・凛さんの報告「鳥取城と忍者」です(写真1)。凛(りん)さんは、当館の資料を使い鳥取藩の忍者研究を進めるとともに、三重大学研究基盤推進機構リサーチフェローとしても活動する新進気鋭の研究忍者です。
写真1 国際忍者学会で報告する現役忍者・凛さん
鳥取藩にも忍者がいたの段
変わり身の術を使って(!)、凛さんに成り代わり、その報告を掻い摘まんで紹介しましょう。「鳥取藩の忍者は『御忍(おしのび)』と言うてな、新(あたらし)・国府・吉岡家など伊賀(いが)国(現、三重県の一部)にルーツをもつ特定の家が代々忍者をつとめておったのでござる。御忍の職務は、(1)火の用心、(2)不寝番(ふしんばん)、(3)藩主の御入湯御供(にゅうとうおとも)、(4)江戸勤め、(5)鳥取藩内の在廻(ざいまわ)り、(6)藩主の御内御用(おうちごよう)、(7)情報探索などだったんじゃが、皆がイメージする忍者、例えば敵城に忍び込み、諜報(ちょうほう)活動や攪乱(かくらん)作戦を行う者、とはちょっと違うのでござる。これら職務のなかでもっとも大切なのが、藩主の御内御用、つまり藩主の身の回りの仕事だったんじゃ」
(以上、凛さんの話し方をまねてみました)
江戸前期の鳥取藩の「忍者屋敷」を知るの段
さて、凛さんの報告では、鳥取城下における御忍の居住地についても紹介されました。凛さんは、当館が所蔵する慶安3年(1650)以前の鳥取城下を描いた「鳥取城下之図」という絵図をもとに、江戸前期の御忍は、(1)鳥取東照宮(とうしょうぐう)の門前町である上町や大榎町、(2)袋川の鋳物師橋(いもじばし)付近の元鋳物師町(現在の寿(ことぶき)町、市立みたから保育園付近)の2か所に居住していたことを明らかにされました(写真2)。
改めて絵図で確認してみると、たしかに上町(うえまち)や大榎(おおえのき)町周辺に「しのひ衆」などの記載が見られ(写真3)、元鋳物師町周辺には「宮脇平太左衛門鉄炮并(ならびに)しのひ衆」とありました(写真4)。なお、忍者屋敷といっても、隠し部屋や扉があるような「からくり屋敷」ではなく、普通の武家屋敷だったと考えられます。
写真2 忍者が居住した上町と元鋳物師町(「鳥取城下之図」当館蔵より)

写真3 上町の忍者屋敷。「しのひ衆」とある(矢印の箇所)

写真4 元鋳物師町の忍者屋敷(矢印の箇所)
「忍者屋敷」に行ってみたの段
忍者屋敷の存在を知った私は、早速、上町周辺へ現地調査に出かけました。調査のお供は、当館が提供しているまち歩き支援デジタルマップ「鳥取こちずぶらり」です。絵図に「御しのひ衆」と記された場所に行ってみると、そこには普通の住宅が… (写真5)。残念ながら忍者屋敷の名残りはありませんでした。
もう少し調べてみたいと思い、江戸後期、鳥取城下の歴史書である『鳥府志(ちようふし)』をひもとくと、上町の町内にはかつて「御忍屋敷」という地名があったことが判明しました。その説明は、「昔はこの辺に伊賀衆(御忍のこと)が皆住んでいたようだ。享保5年(1720) の石黒大火の記録には7人の住人が見えるが、全員が御忍ではなく、なかには藩医の名前もあった」とあります。つまり、江戸前期には御忍が皆集まって住んでいたが、中期には歯抜けになっていたというのです。
写真5 現在の上町忍者屋敷付近

場末地域に忍者屋敷がある歴史的意義を考えてみたの段
なぜ、江戸前期には上町や元鋳物師町周辺に忍者屋敷が所在していたのでしょうか。城下が発展途上であった当時、上町も元鋳物師町もともに城下町と農村との境界、いわゆる「場末」でした。この地域には、御忍のほかに御徒衆(おかちしゅう)、坊主、鉄砲足軽など下級藩士らが集まって住んでいました。つまり、上町や元鋳物師町に忍者屋敷があったのは、そこが御忍も身分格式的に属する下級藩士の居住地域だったからということになります。
戦国時代の忍者は、忍びの技能をもって武将に仕える存在でしたが、一方で実際の身分は農民、しかも下人など下層の存在でした。それが江戸時代になると、下級ではありますが武士となったのです。場末に住む忍者というと、華やかな忍者のイメージとはかけ離れていますが、忍者の武士化という時代の変化を象徴するものと言えるのです。
(学芸課 歴史・民俗担当 大嶋 陽一(おおしまよういち))
スマホをもって鳥取城下を歩く
鳥取の中心市街地は、いまから約400年前に城下町として整備されたことにはじまります。鳥取こちずぶらりは、スマートフォンやパソコンなどのWEB上に表示される江戸時代の古地図や、昭和22年に撮影された航空写真などと見比べながら散策できる、まち歩き支援デジタルマップです。
サイトでは、GPSにより古地図上に現在地を表示し、まるで昔の鳥取を歩いているような感覚を味わえます。
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