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伯耆の古墳

因幡地域では

鳥取県東部にあたる因幡地域では、千代川下流域の鳥取平野を中心とする平野部を望む丘陵上に、約2,000基以上の古墳が造られます。出現期の古墳の様相は、明らかになっていませんが、中国製の鏡を副葬した湖山池周辺の桂見2号墳(方墳:28m)が因幡最古の古墳とされています。また、最初の前方後円墳は鳥取市の本高14号墳(63m)で、同じ日本海沿岸の北陸地方と同時期に前方後円墳が造られはじめます。

前期末になると因幡地域最大級、全長90mを測る前方後円墳・古郡家1号墳が千代川右岸に出現し、因幡全域を支配する首長が現れたと考えられます。その後、全長67mの前方後方墳・古海36号墳、前方後円墳では里仁29号墳(81m)、桷間1号墳(92m)など、千代川左岸・湖山池周辺に大規模な前方後円墳が次々と造営され、千代川右岸の古墳を規模の上では圧倒していきます。中期から後期になると、千代川中流域の八東川・私都川が合流する国中平野、因幡西部(旧気高郡)の河内川、勝部・日置川流域、因幡東部の海岸砂丘から但馬方面に抜ける蒲生川流域にも中・小規模な前方後円(方)墳を中心とする古墳群が造営されるようになります。一方、千代川上流域の山間部では前方後円墳はみられず、小規模な古墳しか造られません。

因幡東部では後期古墳の埋葬施設である横穴式石室に、巨石を用いて玄室天井の中央を高く構築する中高式天井が広く採用されます。その中には魚・船・鳥・人物等を描いた線刻壁画が描かれることがあり、この地域の特徴ともなっています。また、7世紀に入ると、多角形墓の梶山古墳や、仏教思想の普及をうかがわせる鴟尾付陶棺が納められた蔵見3号墳などの終末期古墳も造営されますが、やがて律令体制下の因幡国として、古代地方行政に組み込まれていく中で、古墳は造られなくなっていきました。

梶山古墳(かじやまこふん)

昭和53年の彩色壁画の発見で広く知られた終末期古墳です。南北13m、東西16mの多角形(変形八角形)の墳丘前面には、石積の方形壇を備えており、凝灰岩で造られた切石造りの石室は、因幡地域の特有の中高式天井となっています。壁画は玄室奥壁にあり、最上段に竜文と同心円文が、中段に魚、下段に円文が赤黄色の顔料で描かれています。7世紀前半から中頃に築造されたと考えられるこの古墳は、後に国府が置かれた古代法美郡の有力氏族である伊福吉部氏の首長墓と推定されており、被葬者として「伊福吉部氏系図」にみる第25代久遅良臣か、第26代都牟自臣が候補に挙がっています。

●参考リンク

文化庁 文化遺産データベース 梶山古墳

本高14号墳(もとだか14ごうふん)

平成21年度、山陰道整備に伴う発掘調査によって発見された古墳です。発掘調査の結果、全長63m、鳥取県でも6番目の規模を誇る大型前方後円墳であること、埋葬施設からみつかった土器などの特徴から、築造時期は4世紀後半(古墳時代前期後半)であり、山陰地方で最も古い前方後円墳であることが分かりました。

当初はこの場所に道路が造られる計画でしたが、山陰地方での前方後円墳が導入される様子を示す古墳として重要であることから、現地保存が決定されました。

現在、古墳墳丘上には登ることはできませんが、国道29号周辺からかつての威容を仰ぎ見ることができます。

古郡家1号墳(ここおげ1ごうふん)

鳥取平野南部にある、因幡地域最大級の規模を誇る全長90mの前方後円墳。後円部から粘土槨、その両側に2基の箱式石棺が発掘されています。粘土槨からは奈良県新沢千塚500号墳以外に出土例のない八ツ手葉形青銅品や勾玉・管玉、石棺からは人骨とともに鏡・漆塗櫛、鉄製武器・工具類と鉄製革綴短甲(鎧)といった多彩な副葬品が出土しています。また墳丘からは家・盾型埴輪と円筒埴輪が見つかっています。前期末に築造された古墳と考えられ、眼下の鳥取平野を支配し、大和政権ともつながりを持った因幡の王の墓と考えられています。(出土品は県立博物館展示)

空山古墳群・坊ヶ塚古墳(そらやまこふんぐん・ほうがづかこふん)

鳥取平野南部丘陵の空山、広岡古墳群には、横穴式石室内に線刻壁画を描いた小規模な後期古墳(円墳)が知られています。壁画には弓を引く武人や船・鳥などの具象的な構図と、綾杉文・木葉文などの抽象的な文様が描かれているものがあります。

布勢古墳(ふせこふん)

湖山池東岸の日吉神社裏山にあり、因幡地域で5番目の全長59mを測る前方後円墳。埴輪・須恵器が出土しており、中期末から後期初めに築造されたと考えられます。

大熊段1号墳(おおくまだんいちごうふん)

鳥取大学の敷地となっている濃山台地にあった古墳群の盟主墳。全長50mの前方後円墳で、前方部の幅が広がるのが特徴。円筒埴輪が出土しており、後期古墳と考えられます。

山ヶ鼻古墳(やまがはなこふん)

千代川左岸の丘陵上にある古海古墳群中の終末期古墳。墳丘が失われており、加工した凝灰岩の巨石を組み合わせた石室が完全に露出しています。玄室は一石を刳り抜いて造った天井と壁を床石の上に置いたもので、畿内の横口式石槨を思わせる特殊な構造をとっているのが特徴。精緻な切石加工と特殊な構造などから終末期(7世紀)の古墳と考えられます。

※見学を御希望の際は事前に鳥取市教育委員会文化財課(電話0857-20-3367)へお問い合わせください。

高野坂古墳群(たかのざかこふんぐん)

因幡北東部、岩美町小田川中流域の丘陵中腹から山裾に展開する後期古墳群。見事な加工を施した家形石棺を安置した横穴式石室(2号墳)が古くから知られていました。

発掘調査が行われた10号墳は1辺12mの方墳で、横穴式石室内に家形石棺が完全に残っているのが発見されました。現在、石棺は隣接地に復元された墳丘・石室内に移築されています。石室内からは、吊り下げ部に忍冬文を飾った青銅製壺鐙(馬具)など、多彩な副葬品が出土しています。

小畑古墳群・穴観音古墳(おばたけこふんぐん・あなかんのんこふん)

鳥取市から岩美町に抜ける駟馳山峠の山裾にある後期古墳群で、大型の横穴式石室を内蔵しています。このうち、穴観音古墳は全長11.3mを測る因幡地域最大級の横穴式石室で、巨石を用いて玄室中央の天井を高く積む中高式天井石室として知られています。

発掘調査された5号墳は鳥取市の布勢運動公園、3号墳石室と家形石棺は穴観音古墳の近くにある古墳公園に移築され、常時公開されています。

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