事業者へのインタビュー

株式会社寺方工作所

<所在地>  北栄町
<事業内容> 精密プレス加工
<社員数>  109名

Q1:地震発生直後の様子は?

 地震当日は本震発生の2時間前に震度4の地震が起きており、社内で大きな「地震が来る前触れかも」という話をしていた。ただし、具体的な準備をするまでではなかった。  しかし、突然、大きな揺れが発生したため、社内にいた社員は避難するように声をかけ合い、建物の外に飛び出した。幸い怪我をした社員はいなかったが、自分を守ることが精一杯で、避難する際に何かを持ち出すという余裕は無かった。  一旦外に避難した後、本社工場では2箇所の駐車場に集合し、点呼を取った。社外いる社員は把握ができており、上司に確認をとってもらった。
(他の2工場でも同様の対応)

Q2:どのような被害が発生しましたか?

 あちこちの壁に亀裂が入ったり、窓ガラスが割れる、壁が一部で落ちるといった被害が発生した。
 固定していた棚は倒れずすんだが、固定していない多くの棚が倒れた。重要な金型を置いていた棚には落下防止器具を取り付けているものもあったため、被害が無く非常に助かった。
 在庫品も被害を受け、使えなくなったものがかなり出た。検査機器やプレス機は位置ずれを起こし、傾いた機械もあった。
 社内のパソコンは倒れたものもあった。ただ、机の上においてあった端末でも対策を取っていたものは倒れずに済んだ。

Q3:地震発生当日の対応は?

 建物内部の様子が気になったが、とにかく余震が続いており、建物内部に入ることは危険と判断した。結局、建物内部には入らなかった。  建物内に入ろうとする社員もいたが、危険なので入ることを許可しなかった。
 屋外へ避難した後は、建物内部に入れず、駐車場で今後の対応について協議するが、何もできない状態が続いた。
 社員の携帯電話を知っている取引先から電話が入ることもあった。しかし、すぐに切れる状態であった(翌日会社にかかってきた電話では、地震直後に電話をしたが、かからなかったと言われる取引先もあった)。
地震が起きた時、遠方から来社していた重要な取引先の担当者と打合せをしていた。地震によって公共交通機関がストップしてしまい、その取引先の担当者は帰れなくなってしまった。ホテルも部屋を取ることができない状態だった。そこで、当社の車両を貸して欲しいというリクエストがあり、1台貸すことにした。その車で無事帰社した様子であった。
 しばらくすると、学校から子供を引き取りに来て欲しいという連絡(メール)が社員に入るようになった。子供の迎えが必要な社員には口頭による申し出に応じて退社させた。
 地震発生から1時間程度たった後、管理者やリーダー以外は帰宅させることに決定した。
 その日は結局、対応ができないままとなり、管理職とリーダーには翌日の出社の指示をし、5時には全員帰宅させた。

Q4:その後の事業再開までの対応は?

 翌日22日(土)は始業の8時にほとんどの管理職とリーダーが出社した。 まず社長を中心とする災害対策本部を設置し、役割分担を行い、被害状況の把握を始めた。
 集まった情報はホワイトボードにどんどん整理をしていった。
 被害の状況は概ね午前中に把握できた。
 地震発生の翌日には、電気は通じており、パソコン等を使うことができた。
 BCPに記載している連絡一覧表とリリース文案を利用し、取引先にFAXで一斉に告知文を送った。
 土曜日には電話は普通に使えるようになっており、納期を心配する取引先から電話がかなりかかってきた。
 機器の復旧作業のため、2社のメーカーと連絡が取れ、24日(月)に来てもらう話ができた。
 被害がそれほど大きくなかったので、代替させるという発想は無かった。
この日も余震が続いており、余震のたびに建物外に避難をしながら作業を続けた。
 翌日の作業は被害調査に終始し、午後3時ごろに解散とした。

 23日(日)は、出社無しとした。社員の多くも自宅が被災しており、この日は自分の自宅の対応を進めることとし、会社としての動きはしていない。

 24日(月)には、ほとんどの社員が出社している。全員で片付けにあたった。
総務課では全社員の家族や自宅の被害状況等の聞き取り調査を行ない、一覧としてとりまとめた。
 この日は復旧作業が中心となり、製造作業ははまだ実施していない。

 25日(火)に入ってから、早朝から製造を順次再開していった。製造業務は一旦停止したが、BCPで定めた目標復旧時間内の事業再開は達成することができた。

Q5:BCP策定に取り組んでよかったことは何か?

  • BCP策定後に棚の固定や落下防止対策を進めた。その結果、重要な金型が棚から落下せず被害を免れた。これはBCPに取り組んだ結果だった。
  • BCPで災害発生後に取引先に通知するリリース文の雛形を作っていたので、その内容をもとに取引先に翌日ファックスをすぐ送ることができた。
  • 以前は重要な取引先一覧表等は作っていなかったが、計画策定の際に一覧表をまとめていたので連絡するのに役にたった

Q6:BCPに定めたが実際は役に立たなかったという情報は?

 BCPに役割分担を定めた体制表があるが、今回のような大地震が起こると、まず避難する事が先決となり、現実的に役割分担により行動を起こすまでに至らない。また、訓練を重ね日頃から役割分担を認識させておかないと、いざとなった時に自分の役割が認識できていない状況となる。

Q7:事前にもっとやっておけば良かったと感じたことは?

  • BCPは計画を作るだけでは役に立たない。被害を軽減したり、ライフラインを確保するための事前対策をしなければ意味が無いと感じた。
  • 支援を受けて机上訓練を社内で1度実施した。BCPの訓練はノウハウが必要で、外部の支援が無いと実施するのは難しいと感じた。ただし、その机上演習の効果はよくわからない。なぜなら、1度の訓練では内容を習熟し、自分の役割をハッキリさせることができなかったためである。訓練も回数を増やさないと効果が無いと感じた。
  • 社長からは工場内は暗いため、社員にミニライトをもたせるなどの対策が必要ではないかと言われている。

Q8:その他の情報

  • 地震により社員の防災意識は多少高まったとは思うが、社員に危機管理面での大きな変化があったとは感じない。
  • 取引先からは見舞金や水食料等の物資がたくさん届けられた。見舞金は被災した社員に渡し、物資は各工場に配布した。
  • 取引先から応援要員の派遣の申し出を受けた。ただし、今回は受け入れは特にしなかった。

<本事例から得られる事業継続対策へのヒント>

1. 大規模地震発生当日の対応と目標復旧時間の関係
 社屋や工場の耐震性が乏しいと、大規模な地震の際、一旦建物の外に避難した後は、建物内に戻ったり、建物内で作業することに危険が伴う。仮に建物内で作業を継続する場合でも社員は心理的に危険を感じながら、作業をするようになる。そのため、同社のように目標復旧時間が発災から当日という場合を除く、大規模な地震被害が発生した場合は、当日の仕事は中断するのが現実的な対応と考えられる。

2. 学校・幼稚園等からの引き取り要請
 平日日中の地震発生時では、学校や幼稚園から子供の引き取り依頼が学校から来る。そのため、特に子供のいる女性社員等は子供を迎えに行く必要が出るため、災害発生後は早い段階で退社することを前提として検討しておくことが現実的である。

3. 遠方からの来客や訪問者への対応
 本事例のように遠方から訪問者がいて、自力で帰れない場合、どのような対応が取れるか予め検討しておくことも有効である。帰宅困難者の社員への対応策と同時に検討できると思われる。

4. 被害を軽減する事前対策の重要性
 同社の例でも強調されていたが、被害を軽減するための対策は重要である。建物の耐震化のように多額の投資が必要となる対策以外にも、棚の固定や機器の飛び出し防止措置等の実施は有効である。

5. 教育や訓練の必要性
 計画を作っても、教育や訓練をしっかりしておかなければ、自身の役割等が認識できず、結局対応できなくなる。訓練も年1回程度の訓練では足りず、やるなら頻度を上げることが必要である。

  

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