船上山の歴史

 大山隠岐国立公園内にある船上山は、山岳仏教が華やかな頃は霊場として栄え、また後醍醐天皇が隠岐を脱出して潜行した場所としても知られる。

 船上山は名和(なわ)長年(ながとし)が後醍醐天皇を奉じて、北条氏の兵を破った古戦場である。

 1333年2月、天皇は隠岐島を脱出して伯耆に上陸され、以後5月に船上山を出発し、京都に帰還されるまでの80余日を行宮として過ごした。この行宮跡は、国の史跡に指定されている。山上には、船上神社、行宮碑があり、麓には県立船上山少年自然の家がある。

2002発行「鳥取県文化観光事典」より抜粋

  

船上神社

 祭神は伊左那美命(いざなみのみこと)・速玉乃男命・事解男命の三神で、昔から船上山三所権現といい寺僧が奉仕した。明治11年(1878)に両殿に安置してあった仏体および仏具を赤碕町竹内の法蔵院(智積寺)に移し、船上神社と改称した。

 社前に碑があるが2m10cm、幅90cm余りで、豊後(大分県)の儒学者広瀬旭窓の撰文と画が刻まれ、「伯耆国八橋郡船上山碑」とある。
  

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