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第1話「ピークはあの年に?―県人口の100年の推移―」

 問題です。過去100年間で県人口がピークとなったのはいつ?

 約1世紀にわたる国勢調査のデータを掘り起こすこのコラム、まず第1回目は基本のキを押さえたいと思います。つまり、鳥取県の総人口の推移を振り返ろうというわけです。

 国勢調査は、1920(大正9)年以来、原則5年ごとに実施されてきました【注】。2015(平成27)年までに合計20回の調査が実施されましたが、そのなかで最多の県人口を記録したのは何年のことだったでしょう?

  • 1945(昭和20)年の国勢調査は第二次世界大戦直後のため実施されず、代わりに1947(昭和22)年に臨時調査が行われています。

 この年、鳥取県内ではあるイベントが開催されています。県民あげての一大事業といった方がよいかもしれません。当時の熱気や勢いを思うと、同じ年に人口がピークを迎えたというのも象徴的ではないでしょうか。

あるイベントの写真(鳥取県立公文書館所蔵)

 上の写真は、そのイベントの一コマを撮影したものです(鳥取県立公文書館所蔵)。何年の何というイベントか、一定年齢以上の方であればすぐにお分かりですよね。

 答えは1985(昭和60)年でした。同年10月1日現在の県人口は616,024人です。

 実は、各年の推計人口【注】によればその3年後の人口が最多となるのですが、いずれにしても県人口は昭和時代が終わる頃にピークアウトしたといえそうです。もっとも、長期的に見ると、それ以前にも一度ピークに当たる年があったようです。次のグラフを見てみましょう。

  • 鳥取県の推計人口は、国勢調査の結果をベースに年々の出生・死亡や移動の届出を加減することで推計しています。1970(昭和45)年以降で最多となるのは1988(昭和63)年の616,371人です。
図「鳥取県人口の推移:1920~2015年」

 第1回国勢調査による1920(大正9)年の県人口は454,675人でした。以降、戦時を除いて右肩上がりに増加し、1955(昭和30)年の614,259人でいったんピークを迎えています。そこから減少へ転じた背景には、就業機会を求めて大都市圏へ転出する人たちの存在があったでしょう。時代はちょうど高度経済成長期と重なっています。

 1975(昭和50)年からは再び増加へ向かったものの、二度目となるピークを迎えたのが1985(昭和60)年でした。以降は減少が続き、少子高齢化と併せて大きな社会問題となっていることはご存知のとおりです。これからも減少トレンドは続きそうだというのが大方の見方かと思いますが、実際に令和時代最初となる2020(令和2)年10月1日の調査結果がどうなるのか、注目すべきでしょう。

グラフ注

総務省統計局「国勢調査」各年版から作成。

データダウンロード

 1985(昭和60)年のイベントとは、もちろん「わかとり国体」。今から34年前、全国各地からアスリートたちが集まり、夏と秋の国民体育大会が開催されました。先ほどの写真は、同年10月20日の開会式で高校生たちが行った集団演技「飛翔」の様子です。当時の雰囲気を思い出された方も多いのではないでしょうか。

  

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