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2012年6月22日

泉龍寺を中心に広がる歴史。結構深いです。

泉龍寺の外観
今回、日野郡日野町黒坂の『泉龍寺』(せんりゅうじ)をご紹介。
約400年前に黒坂鏡山城を築いた城主、関一政が建立したお寺です。(黒坂鏡山城については、日野ごよみ:6月6日、日野町にお城!鏡山城址へ参上!にて)

道路沿いの『泉龍寺、因藩(いんぱん)二十士流謫幽閉之寺』とある看板が目印。
お気づきでしょうか?この因藩二十士の歴史が深いんです!!!

幕末動乱の江戸末期、鳥取藩主池田慶徳公の姿勢を逆賊だと非難した張り紙が京都の町に貼られた事が発端。尊皇攘夷派の家臣、河田佐久馬以下22名が、藩主が逆賊の汚名をこうむったのは佐幕的(幕府の政策を容認)な考えの側近のせいであるとして、側近を暗殺しました。(本圀寺事件)
暗殺に加わった同士22名のうち、1名が自死、1名が行方不明になり、残った20名が後に「因藩二十士と、呼ばれるようになりました。
その後、20名は京都の藩邸から伯耆国・黒坂に幽閉の身となりましたが、その場所が「泉龍寺」だったんです!!
黒坂へ幽閉期間、地元の住民との交流もあったそうです。
8ヵ月後、鳥取の親族預かりとなって黒坂を出発し、その後脱藩し遺族の仇討ちに合い、4名が死亡しますが、その後も倒幕などの運動に深く関わっています。
そして、まとめ役となった「河田佐久馬」は初代鳥取権令(ごんれい)となった人です。
知れば知るほど深いんです!

鳥取二十士の資料
泉龍寺の本堂には、その因藩二十士に関わる資料が並べられ、写真も残ってます。

鳥取二十士の資料
黒坂から鳥取に戻った後、仇討ちに合った場所や倒幕の運動などで鳥取を後にしてたどった経路を地図にしたものです。

鳥取二十士の資料
因藩二十士のうち数人の直筆の和歌もあります。
このほか、修行中に使用した木刀や剣道の防具、机や、珍しいものに鳥カゴなどなど、黒坂暮らしの生活品が沢山残り、当時の生活様式がよくわかります。

『因藩二十士』、興味をそそられませんか?
ぜひ泉龍寺にて歴史の一部分を見てみませんか?
※「因藩二十士」の遺品を見る際は事前に連絡が必要です。

『泉龍寺』
■場所:鳥取県日野郡日野町黒坂421
■電話:0859-74-0140
■関係サイト:泉龍寺ホームページ

日野総合事務所 2012/06/22

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