鳥取市吉方町2丁目。当時の住所は鳥取県邑美郡吉方町一四五番屋敷。放哉はこの地で生まれた。

鳥取市立川町1丁目。 従来生誕地であると伝えられていた場所。明治十九(一八八六)年、放哉一歳の時に吉方町の生家から鳥取市立川町一丁目五九番屋敷に転居した。俳句の師であった荻原井泉水の書による「せきを志てもひと里」(原句は「咳をしても一人」)の句碑、「尾崎放哉生誕之地」の石柱が『鳥取文芸協会』により建立されている。

鳥取市栗谷町。
鳥取藩主池田家の菩提寺。池泉鑑賞式の美しい庭園が有名である。
尾崎家の墓があり、昭和五年には「はるの山のうしろからけむりが出だした」の句碑が建立された。
境内の奥には放哉(尾崎家)の墓もある。