日本最初の歴史書「古事記」には、大和朝廷が諸国に鳥を捕らえさせ、これを税として納めるように命じていたという一節があります。そして、当時、鳥取平野には、沼や、沢の多い湿地帯で、水辺に集まる鳥などを捕らえて暮らす狩猟民族が住んでいました。これらの人々が、大和に政権ができてからその支配体系に組み込まれ、「鳥取部」として従属するようになり、そこからこの地の呼び名「鳥取県」が生まれたとされています。これはほんの一例で、鳥取県には、素晴らしい伝統文化や豊かで美しい自然とともに、神話から続く伝説や地元で代々語り継がれる昔話、逸話がたくさん残っています。その地にまつわるお話は、その地の風土、歴史や文化をよりよく知る手掛かりになります。
  

大山の背比べ

大山の背比べ むかし、韓の国の神さまが、日本の国の山と背くらべをしようと、自信たっぷりに、韓山を舟に乗せて日本海を渡って来たことがあります。

 やがて、伯耆大山の雄姿が見えて来ました。神さまはびっくり仰天。とてもこれにはかなわない、と韓山を捨てて帰って行きました。大山の手前にそびえているのがこの山。韓の画にちなみ、高麗山(孝霊山)と呼ばれています。

 

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