鳥取県は、大伴家持と山上憶良の万葉歌人が奈良時代にそれぞれ因幡国守、伯耆国守として赴任しており、万葉ゆかりの地が多くあることから、万葉歌人やゆかりの地を紹介しこれら文化資源の魅力発信を目的としたパンフレットをこのたび新規作成、発行しました。
因幡国庁跡は平安時代から鎌倉時代にかけて因幡国を治めていた役所の跡であり、大伴家持は因幡国の国守として赴任しています。国庁から東に甑山、西に面影山、南に今木山の因幡三山が三方に見えます。国府域は約六町(654m)四方と推定され、南側には国分寺や国分尼寺が配置されていました。1977年(昭和52年)に僅か20数センチの地下から柱根を残した建物遺構が発見され、国の指定史跡と認定されています。
741年(天平13)に聖武天皇の勅願により創建。因幡国府の東西500mに位置し、発掘調査では塔や南門、寺域を示す築地塀、掘立柱建物が確認されました。発掘された礎石が保存されています。
万葉集の最後を飾る大伴家持の歌碑であり、昭和39年に大伴家持の歌が作られてから1200年を記念して庁の集落内に建てられました。高さ約3mの自然石の表面に 「天平宝字三年春正月一日於 因幡国庁賜饗国郡司等之宴歌一首 『 新年之始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家余其騰』(あらたしきとしのはじめのはつはるのきょうふるゆきのいやしけよごと)右一首守大伴宿弥家持作之」と記されています。
休館:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日の平日)、祝日の翌日(平日の場合)
万葉集、大伴家持、伊福吉部徳足比売に関する展示があり、古代因幡と万葉文化に触れることができる拠点です。 館内では万葉植物の庭園や古代衣装の試着体験も楽しめます。
サイトURL: http://www.tbz.or.jp/inaba-manyou/
祭神で祀られている武内宿禰命は360歳まで生きたと言われており、長寿の神として信仰されています。1899年(明治32年)に、全国の神社の中で初めて武内宿禰命像と共に宇倍神社の拝殿の絵が五円紙幣に採用され、それ以降数回にわたり紙幣の図柄となったことからお金に縁があるとされ、商売繁盛、金運上昇の神として全国から多くの参拝者が訪れます。毎年4月21日には宇倍神社例大祭が行われ、祭では、江戸時代から続く伝統の舞「麒麟獅子舞」が奉納されています。
伯耆国庁跡、隣接する法華寺畑遺跡、国庁跡から北東に約1.5km離れた不入岡遺跡で古代伯耆国府に関する遺跡が確認されたため、一括して伯耆国府跡として国の史跡に指定されています。 国庁跡は奈良時代から平安時代に至る役所の跡。倉吉市社地区には国庁・国分寺・国分尼寺が近接して置かれ、当時の伯耆国における政治、経済、文化の中心地となっていました。山上憶良が伯耆守として赴任した8世紀初めは、この国庁はまだ建立されておらず、憶良が勤務していたのは不入岡遺跡で見つかった初期の国庁と考えられています。法華寺畑遺跡は国府の役所であったものが、国分尼寺に転用されたと考えられます。
741年(天平13年)、聖武天皇の勅願による寺院跡。東西182m、南北160mで主要建物の遺構は、南門、金堂、講堂、塔などが確認されています。
万葉歌人 山上憶良の「瓜(うり)食(は)めば子ども思ほゆ 栗(くり)食(は)めばまして偲(しの)はゆ いづくより来たりしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ」の歌碑が2017年に建立されました。山上憶良の歌碑の左側にはアララギ派の土屋文明の追慕歌碑もあります。
伯耆国一ノ宮として知られ、延喜式神名帳にその名が見られる格式のある神社。創建は明らかではないが、伝えによると大国主命の娘 下照姫命が出雲からこの地に着き、御冠山を背後にしたこの社地に住居を定めたと言われています。
国造りの神である少彦名命を祀る古社。粟を蒔いて、実ってはじけた粟の穂に乗って常世の国へ渡ったと伝えられる地で、少彦名命を詠んだ生石村主真人の「大汝 少彦名のいましけむ 志都の石屋は 幾代経ぬらむ」の歌が記された万葉歌碑があります。
休館:毎週月曜日(祝日の場合は翌平日が休館日)
倉吉市とその周辺の遺跡、特に伯耆国庁跡・国分寺跡の出土品など考古資料を展示。また、前田寛治、菅楯彦など倉吉市にゆかりのある画家や人間国宝 大坂弘道の作品も展示しています。
サイトURL: https://www1.city.kurayoshi.lg.jp/hakubutsu/
〈参考〉
鳥取県内を走る路線バスの時刻表検索などに便利な「バスキタ!」です。 バスキタ!(外部サイト) https://tottori.buskita.com
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