日本最初の歴史書「古事記」には、大和朝廷が諸国に鳥を捕らえさせ、これを税として納めるように命じていたという一節があります。そして、当時、鳥取平野には、沼や、沢の多い湿地帯で、水辺に集まる鳥などを捕らえて暮らす狩猟民族が住んでいました。これらの人々が、大和に政権ができてからその支配体系に組み込まれ、「鳥取部」として従属するようになり、そこからこの地の呼び名「鳥取県」が生まれたとされています。これはほんの一例で、鳥取県には、素晴らしい伝統文化や豊かで美しい自然とともに、神話から続く伝説や地元で代々語り継がれる昔話、逸話がたくさん残っています。その地にまつわるお話は、その地の風土、歴史や文化をよりよく知る手掛かりになります。
  

赤松の池

 むかし、松江のお殿様のところに仕える松浦瀬母という家老がおり、日頃から子供が欲しいと願っておりました。そこで、霊験あらたかな赤松池大明神にお参りしたところ、女の子が生まれ、お初と名づけました。

  時がたち、お初はこのあたりでは評判の美しい娘となりましたが、藩主松平候の目にとまり、妻に欲しいと要望されました。藩主の願いは断れないので、両親はお初をお城へ上げることとなりました。これを知ったお初は悲しみましたが、「お城へ召す前に、私が生まれるように祈っていただいた赤松池大明神へお参りさせてください。」と願いました。

 赤松池参りの日は、朝から晴れわたり、池は青々とした清らかな水を満面にたたえていました。池のほとりで乳母が「お嬢さま、この池の水を髪につければ美しい髪になりますよ。」といい、いわれるままにお初が髪をすいたところ、一くしすくごとにだんだんと髪が長くなり、みるみる水面をはうほどになりました。やがてお初は岸を離れてするすると水面を歩き出し、とうとう池の中心まで行きつきました。すると、突然大渦巻が起こり、水中に沈んでしまいました。

 驚いたお侍や乳母は「お初さま、もう一度その姿を見せてください。そうでないと、帰ってお殿様に申す言葉がございません。」と祈ったところ、再び大渦巻が起こり水中から、腰から下を蛇に変えたお初が現れました。そして、「私は、この池にすむ大蛇です。頼母があまりにも強く願うので、しばらくの間お初に姿を変え、人の世に身をおいていましたが、今もとの姿に変わる時がきました。長い間育てていただきありがとうございました。これから先、私に祈りをささげる人には、かならず幸福を与えましょう。」といい残し、水中深く沈み二度と姿を現わしませんでした。

 それより後、松江市北堀町にある松浦家では、お初が蛇にもどった旧暦六月十八日に、大広間に八枚の屏風を立て、たらいに水を入れておくと、お初が訪れたしるしとして、たらいの中に多くの砂が沈んでいたといいます。

 また、赤松池の半島に祠があり、御神体としてお初の像が奉られており、赤松池神社では同じ日に例祭が行われています。お初は今でも龍神としての信仰を集めね幸福を願う人々や千ばつの年には雨ごいの祈願をする人々が、遠方からもお参りに来られます。