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古代中国や朝鮮半島、西日本各地からもたらされた遺物が出土しています。

 青谷上寺地遺跡は「交易拠点としての港湾集落」と位置付けられます。その根拠のひとつとして、他地域との交流を示す遺物の存在があげられます。
 粘土をこねて形を作り焼き上げた器を土器と呼びます。弥生時代の土器は時期と地域によって形や作り方が違うので、地元のものかそうでないかを見分けるのは比較的簡単です。
 また当時の技術力の差から、古代中国や朝鮮半島製の鉄器と見分けることができるものもあります。
 こうした出土品が青谷上寺地遺跡には多く見られます。
 単にモノが入ってくるのではなく、それに伴い人や情報も移動し、そして何かを手に入れるために別のモノを相手に渡す。これを交易と評価したいと思います。
 石器材料の一部には、中国山地の分水嶺を越えて運び込まれたものがあります。これは陸路によるのでしょうが、青谷上寺地遺跡に持ち込まれたさまざまなモノは海を介して持ち込まれたと思われます。ここで見つかった丸木舟や櫂は漁労活動だけでなく、物資の運搬にも使われたと考えられ、板に描かれた船団の姿は、当時の情景を写したものでしょう。
鋳造鉄斧
古代中国で作られた鋳造鉄斧とその破片。破片には刃を付けて加工具に再加工したものが見られます。こうした舶載鉄器の再利用は国内における初期鉄器の普及のあり方を示しています。
貨泉
古代中国のお金「貨泉」。西暦1世紀の前半に作られたもの。
船団線刻
複数の船を刻み込んだ板。船団を組んで海に漕ぎ出た姿を描いたものと思われます。漁労の様子ではなく、海を介した交易の一場面を示していると評価できます。
櫂
舟を漕ぐための櫂。