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鳥取県立むきばんだ史跡公園
妻木晩田遺跡

とむらう

造り続けられた墳丘墓(ふんきゅうぼ)

墳丘墓とは、土を盛って造った墓で、当時のムラの支配者が埋葬されたと考えられます。洞ノ原地区、仙谷地区、松尾頭地区の3地区で34基の弥生時代の墳墓が見つかりました。1世紀前半頃から3世紀前半頃までの約250年間、ほぼ継続して墳丘墓が築かれています。

移り変わる墓地

移り変わる墓地を説明したイラスト画像 左の図は、妻木晩田遺跡で見つかった墳丘墓の形を時代の古い順に上から並べたものです。四角形のものや四角形の隅がとび出した(突出した)形のものが見られます。後者を「四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)」と呼んでおり、山陰地方に見られる独特な形の墳丘墓で、王墓と考えられています。
この四隅突出型墳丘墓は、墳丘に石を貼りつけるのが一般的です。突出した部分は、墳丘へ上がるための通路であると考えられています。
一番最初に墳丘墓が造られるのは、洞ノ原地区です。その中で一番古いものは、1世紀前半頃に造られた四角形の墳丘墓(洞ノ原2号墓)で、墳丘の裾周りに石を貼りつけています。
1世紀の後半には、同地区で四隅突出型墳丘墓(洞ノ原1号墓)が見られるようになります。
2世紀の前半には、四隅突出型墳丘墓の突出部が前の時期のものより大きく張り出してきます(洞ノ原8号墓)。この時期には、仙谷地区に仙谷墳丘墓群が造られます。以降は洞ノ原地区・仙谷地区で墳丘墓は造られなくなります。
3世紀の後半には、松尾頭地区に墓地が移り、石を貼らない四角形の墳丘墓が造られます。
このように妻木晩田遺跡では、約250年間の王墓の形の移り変わりがよく分かります。
  

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