(展覧会は終了しました)
鳥取県ミュージアムネットワーク連携事業 米子市美術館・鳥取県立博物館共同企画
生誕100年記念「杵島隆 ―不滅のパイオニア精神(スピリット)」

Takashi Kijima The Pioneer Spirit Lives on
鳥取県が生んだ戦後広告写真界のパイオニア・杵島隆(きじま・たかし/1920(大正9)年-2011(平成23)年)の生誕100年を記念し、米子市美術館と鳥取県立博物館の共同企画により、両館のコレクションを中心に「杵島隆―不滅のパイオニア精神」を開催します。
第二次大戦後、米子市大篠津町の自宅を暗室に写真を独学で学んだ杵島は、1947(昭和22)年の初個展で植田正治と知己となり、以来植田を師に本格的に写真に取り組みます。被写体である近所の子供や漁夫、復員してきた若者、占領軍の基地周辺で働く女性たちといった市井の人々の逞しい姿には、杵島の親愛なる視点が感じられ、作品に詩情を与えています。また、クローズアップやソラリゼーション、多重露光といった実験的な撮影・プリント技法にも意欲的だった杵島は、写真雑誌『カメラ』の月例懸賞で当時の写真界のスター的存在であった土門拳から高い評価を受け、全国にその名を知られるようになりました。その後、同郷の岩宮武二の勧めもあり、杵島は35歳にして上京、広告制作会社「ライトパブリシティ」への入社をきっかけに広告写真の世界に飛び込み、それまでに培ったマチエールの描写や画面の構成力を生かした仕事で一躍スターダムに登り詰めます。一方で自身の作品制作にも勤しみ、1958(昭和33)年には個展「裸」において桜田門や銀座、丸の内の街中で撮影したセンセーショナルなヌード写真を発表し、大きな話題を呼びました。その他にも八幡製鉄所や新潟地震などを取材したルポルタージュや、歌舞伎や文楽の記録写真、後半生のライフワークである洋蘭のシリーズなど、生涯にわたって開拓者精神(パイオニアスピリット)を持ち続け、幅広い分野で旺盛な創作活動を行いました。
好奇心と実験精神で時代を拓く
本展は、米子市美術館と鳥取県立博物館の2館を会場に、杵島隆の活動の軌跡を辿ります。米子市美術館では、初期の米子時代の作品から、広告写真の試作や懸賞入選作、代表作であるヌードの連作、晩年の蘭の大作を一堂に展示し、その仕事の全貌を紹介します。鳥取県立博物館では、会期を二期に分け、前期では米子時代に焦点を当て、その初期代表作とともに、大きな影響を受けた植田正治と土門拳のふたりの師の作品、並びに同時期に植田の元に集まり、写真雑誌を舞台に活躍した「写真家集団・エタン派」主要メンバーの代表作を紹介します。後期では、「杵島作品における女性像」をテーマに展示を構成します。
杵島 隆(きじま・たかし)プロフィール
1920年アメリカ合衆国カリフォルニア州に生まれる。戦況の悪化から4歳のときに日本に帰国し、西伯郡大篠津村(現米子市)の母方の実家で育つ。1939年、日本大学芸術学部映画科に入学し、卒業後は東宝撮影所に入所。1943年に海軍に入隊し、福岡で終戦を迎える。終戦後、郷里で植田正治に師事し、写真家集団「エタン派」を結成。この頃月例懸賞に入選を重ね、土門拳に見出される。1953年に上京、ライトパブリシティに入社し、以後日本の広告写真界のパイオニアとして活躍する。また、ヌードをモチーフとした作品で知られ、1958年の「裸」展で発表された東京の街中にオブジェとしてヌードを配置したシリーズがスキャンダラスな表現として物議を醸した。日本写真協会年度賞、勲四等瑞褒章など受賞多数。写真集に『The Orchid』(1975)、『義経千本桜』(1981)、『裸像伝説』(1998)など。2011年敗血症により逝去。
撮影:三好和義