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埋蔵文化財センターのホームページ
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縄文時代と弥生時代の交錯~大桷遺跡(鳥取市)

 
大桷遺跡では、縄文時代から中近世まで長い期間にわたって、人々が生業を営んできた痕跡が見つかっていますが、今回ご紹介するのは、ちょうど、縄文時代から弥生時代に移り変わる時期の土器群です。

縄文時代晩期(約3,000年前)に使われた土器を「突(凸)帯文土器」と呼び、煮沸用の土器の口縁部や胴部に突帯を貼り付けてめぐらせているのが特徴です。突帯には刻目を施すことも多いです。

一方、「遠賀川系土器」は、朝鮮半島をルーツとする弥生時代前期(約2,500年前)の土器で、北部九州から伊勢湾地域までの広い地域に分布します。壺・甕・鉢・高坏といった、縄文土器とは異なる器種構成をもつのが特徴です。

縄文時代から弥生時代に移り変わる時期には、この二種類の土器がよく同時並存するのですが、それが大桷遺跡でも確認されました。
中でも南北に流れる流路からは、縄文時代晩期後半から弥生時代前期にかけての「突(凸)帯文土器」と弥生時代前期の「遠賀川系土器」が合わせて110点も出土しました。

このように、大桷遺跡は、鳥取平野に弥生文化が入ってきた時期の様相をうかがい知ることができる貴重な遺跡なのです。

突(凸)帯文土器と遠賀川系土器

潟湖(せきこ)のほとりに暮らして(鳥取市青谷町青谷横木遺跡)

 
青谷横木遺跡は、南の山地から延びて、北端が日本海に突き出した海食崖(長尾鼻)となる溶岩台地の南西側の裾に位置する遺跡です。
 
青谷上寺地遺跡で行われた古環境の復元調査で、古くは日本海の内湾だった現在の青谷平野は、約4400年前から3600年前に起きた気候の寒冷化による海水面の低下によって、潟湖(せきこ)化が急速に進行しました。

 

そして、この時期(縄文時代後期後半)に、陸地となった潟湖の水際付近で、ヒトの生活が始まったことを青谷横木遺跡で出土した縄文土器が物語っています。

 

画像の土器は、発掘調査した南端に近い少し地形が高くなっている地点から出土した、縄文時代晩期後半(約3000年前)の深鉢です。

 

また、北端近くの調査地では、縄文時代晩期前半の土器が丸木舟の上に載って出土したことで、丸木舟の時期を特定する決め手にもなりました。

 

青谷横木遺跡。南向きで日当たりもよいこの地から、青谷平野のひとびとが紡ぐ長い歴史が始まった、と言えるのかもしれません。
青谷横木遺跡(鳥取市青谷町)で出土した縄文時代晩期(約3000年前)の土器

秀麗な弓(鳥取市青谷町青谷横木遺跡)

 
今回は、青谷横木遺跡で出土した、縄文時代晩期から弥生時代前期(およそ3000年前から2500年前)の弓をご紹介します。

青谷横木遺跡は、古代の遺物や遺構がおもな遺跡ですが、遺跡の始まりは、出土した土器から縄文時代後期の後半(およそ3500年前)までさかのぼることが分かっています。

今回ご紹介する弓は、イヌガヤという木の芯の部分を使ってつくられた丸木弓です。弦以外は、欠けたところがない完全なかたちで、全長は134.7cm、太さは4.6cmほどあります。

つくりはとても精巧で、全面をうるし塗りし、弓の幹の部分には10ヵ所に、下地に何かの有機物を巻いた上に、樺(かば)の樹皮が巻かれています。
また、両端には、弦をかけるためのえぐりがあります。

狩りのために使ったのか、狩りの成功を祈るようなまつりの場で使われたのか、興味を覚える逸品です。
縄文時代晩期(約3000年前)の弓(鳥取市青谷町青谷横木遺跡)

県内最古の旧石器発見!(西伯郡大山町下甲退休原第1遺跡)

 
  • 遺跡の場所 西伯郡大山町下甲(しもぎ)
  • 遺跡の時代 後期旧石器時代後半期初期(約35,000〜33,000年前)、後期(約20,000~15,000年前)
  • 発掘調査した機関(年度) 鳥取県埋蔵文化財センター(2012)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • この遺跡は中国地方最高峰の「大山」から北に延びる丘陵にあり、県内最古の旧石器である台形石器(やじりのような使い方が推定されています)が出土したことで注目される遺跡です。下層では南九州の姶良カルデラから噴出した火山灰(約30,000~28,000年前)の下層で、三つのブロックから46点の石器が出土。うち1点以外は隠岐産の黒曜石製でした。製品としては台形石器2個のみで、当地での後期旧石器時代初期における石材の希少性や石器製作技術の不安定性がうかがえる「お宝」です。一方、上層からは黒曜石製の石器46点が出土。こちらは13個の母岩から小石刃(しょうせきじん/彫器やナイフ形石器などの素材)をつくりだしています。三瓶山の噴火に伴う火山灰(約21,000~20,000年前)の上層から出土しました。大山山ろくでは、この遺跡のほか殿河内ウルミ谷遺跡、門前第2遺跡、豊成叶林(とよしげかのうばやし)遺跡の4遺跡5石器群からそれぞれ時期が異なる旧石器が出土していて、後期旧石器時代を通してのこの地域における石器の変化、変遷をたどることができるようになりました。大きな成果です。(左の画像が下層出土の台形石器、右の画像が上層出土の小石刃)     下甲退休原第1遺跡で出土した台形石器 下甲退休原遺跡

旧石器時代の人々~大山山ろくで石器づくり~(西伯郡大山町殿河内ウルミ谷遺跡)

 
  • 遺跡の場所 西伯郡大山町殿河内(とのがわち)
  • 遺跡の時代 後期旧石器時代後半期後半(約20,000〜15,000年前)
  • 発掘調査した機関(年度) 鳥取県埋蔵文化財センター(2012)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 中国地方最高峰の大山から延びる丘陵と丘陵の間の谷部分にある遺跡です。旧石器は斜面の中にわずかに広がる平地から118点が見つかりました。このうち112点までが黒曜石を原材料とします。原材となる母岩は7個確認でき、このうちおもに4個の母岩を剥離しながら石器製作をしています。その中心は「母岩3」と呼ぶものでガラス質で黒色を主体に白い縞模様が入る質の良い黒曜石です。この母岩を中心に、狩猟用の尖頭器(やり先)、加工具としての掻器(そうき/皮なめしの道具)、彫器(骨角器をつくる道具)、多目的に使われたと推定する小石刃などの石器をつくり出しています。約3mの空白部とそれを取り巻くような遺物の分布から、空白部が石器製作者が作業をした空間だったことも推定でき、石器製作空間の復元にも好適な「お宝」です。(左の画像がおもな石器、右の画像が石器や薄片を接合して復元した「母岩3」です。)                    殿河内ウルミ谷遺跡で出土した旧石器                 殿河内ウルミ谷遺跡で出土した旧石器の母岩                                                       

南原千軒遺跡出土の土偶(東伯郡琴浦町)

 
  • 遺跡の場所 東伯郡琴浦町光(みつ)
  • 遺跡の時代 縄文時代後期後半(約3500年前)
  • 発掘調査した機関(年度) (財)鳥取県教育文化財団(2004)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 「土偶」というと皆さんは、東北地方で出土する宇宙人のような「遮光器土偶」をすぐ頭に思い浮かべるのではないでしょうか。けれども「土偶」は縄文時代を通じて日本列島の各地でそれぞれの地域特有の姿をしたものが作られました。「南原千軒遺跡」で出土したのは「土偶」の足の部分ですが、多くの「土偶」はこのように手足や胴体をばらばらに破損されて出土します。また「南原千軒遺跡」で出土した「土偶」は東海地方から近畿地方にかけて分布する顔表現がないものと似ていますが、なにぶん、足の部分だけの出土なので確定はできません。しかし、県内でこれまで出土している「土偶」は、時期は「南原千軒遺跡」とほぼ同じですが、かたちは平べったい「分銅型」と呼ばれるものが6例中3例ともっとも多いです。もし「南原千軒遺跡」の土偶が、東海地方から近畿地方に分布の中心があるタイプのものだとすると日本海側の分布の西端になるものになる可能性が高い「お宝」です。
    「南原千軒遺跡」出土の土偶(東伯郡琴浦町)

センター紹介

県の中心部は、室町時代の後期は湖山池ほとりの天神山に守護所が置かれ、江戸時代の前からは久松山(麓)に城が置かれるようになり、明治時代から現在まで県庁が置かれています。県庁から4キロほど離れた国府町に奈良時代の国史跡の因幡国庁跡があります。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里に埋蔵文化財センターはあります。

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