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「とっとり県政だより」 2005(平成17年)2月号(第538号)
▼とっとり歴史散歩 大栄町・倉吉市西部周辺

山寺に美しい古仏たちを訪ねて
大栄町・倉吉市西部周辺

雪に埋もれた山里の古寺を訪ね、現代の喧騒(けんそう)から解き放たれたひととき。(おおよ) そ千年の時を経てもなお、(りん)とした造形の美しさを失わない仏たちが、私たちを迎えてくれます。 今回の歴史散歩は、春まだ浅い大栄町から倉吉市西部の山寺に、ひっそりと眠る古仏たちを巡ります。

県中部に位置する大栄町は、大山からなだらかに続く丘陵と沖積平野、そして海岸一帯の砂丘地からなっています。国道九号沿いに北条砂丘を西へ向かうと、由良川にさしかかる手前に、整然とした六角形の土塁が見えてきます。これは江戸時代末期の文久(ぶんきゅう)3(1863)年に鳥取藩が築造した海岸砲台・由良台場跡(ゆらだいばあと)です。 空から見た由良台場跡
空から見た由良台場跡
 黒船来航以来、異国との緊張が高まる中で鳥取藩が沿岸防衛のため境から浦富(岩美町)の間に築いた八ヵ所の台場のうち、現存する五カ所が鳥取藩台場跡(とっとりはんだいばあと)として国史跡に指定されています。そのひとつ由良台場は東西125メートル・南北83メートルの方形の海岸側二隅を切り取った変形六角形で、幕末の砲術家・高島秋帆(たかしましゅうはん)に西洋砲術を学んだ瀬戸村(現在の瀬戸地区)の武信潤太郎(たけのぶじゅんたろう)が指揮をとって築いたものです。現存する台場の中では最もよく原形をとどめています。この台場を築くために延べ7万人以上の人々が働きましたが、財政が窮乏した藩ではその資金を捻出(ねんしゅつ)できず、攘夷思想(じょういしそう)(外国を打ち払い鎖国を主張する思想)に共鳴した庄屋や豪農たちの献金によって造営の費用がまかなわれました。
 由良台場には、四門の大砲が据えられていましたが、これらの大砲は六尾反射炉跡(むつおのはんしゃろあと)(町史跡)で鋳造(ちゅうぞう)されました。六尾反射炉は鳥取藩が銃砲鋳造のために建設した洋式反射炉で、ここで製造された大砲を藩内の台場に配置する一方、岡山藩や浜田藩からも注文があったといいます。お台場公園に隣接する歴史文化学習館は、この反射炉を模したデザインとなっています。由良台場の大砲が異国船に対して火を吹くことはありませんでしたが、お台場・反射炉跡は、鳥取の幕末動乱の歴史を物語る貴重な史跡です。
由良のダンジリ「花踊り」  江戸時代、由良に置かれた藩倉(はんそう)には、周辺12ヵ村の年貢米が集められ、春から秋にかけて沖の千石船に積み込まれて大坂に回送されました。この荷役に従事した由良宿(ゆらしゅく)の人々は、作業の無事と航海の安全を高江(たかえ)神社に祈願し、ダンジリと呼ばれる山車(だし)を担いだ若者 たちが町を威勢よく練り歩きました。ダンジリには満5歳の男の子が紋付(もんつき)の晴れ姿で乗り、「花踊り」を舞って門付(かどづ)けします。由良のダンジリは、港町にふさわしく、華やかで勇壮な民俗行事です。
由良のダンジリ「花踊り」
 瀬戸観音寺(せとかんのんじ)木造十一面千手観音立像(もくぞうじゅういちめんせんじゅかんのんりゅうぞう)(県保護文化財)は、もともと東高尾(ひがしたかお)の観音寺にあったものが移されたものといわれています。細身で流麗な立ち姿は美しく、平安時代中期に(さかのぼ)る古仏です。
 山あいに入った東高尾観音寺には、一木造りの如来(にょらい)菩薩(ぼさつ)天部(てんぶ)像など合せて45体もの古仏が安置されています。このうち木造千手観音立像(もくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう)(国重要文化財)は、県内で最も古い平安時代初期の木彫仏です。人々を救済する力強さを示す両手と40本の脇手(きょうしゅ)は失われていますが、かすかな微笑をたたえた気品のある顔立ち、長身の背を反らせた姿は美しく、両脚の柔らかく流れるような飜波式衣文(ほんばしきえもん)には見るべきものがあります。また、木造十一面観音立像(もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう)(国重要文化財)は面相が円満で優美、肉付きも豊満で(つや)やかな姿の菩薩(ぼさつ)像です。 残る43体のうち、11体も観音寺古仏群(かんのんじこぶつぐん)として県保護文化財に指定されています。これらの仏像は、戦国争乱の中で焼き討ちされた倉吉市(さくら)大日寺(だいにちじ)にあったものが、この地に移されたものと伝えられています。
木造十一面千手観音立像 県内最古の木彫仏木造千手観音立像 艶やかな立像木造十一面観音立像
木造十一面千手観音立像 県内最古の木彫仏
木造千手観音立像
艶やかな立姿
木造十一面観音立像
大日寺の木造阿弥陀如来坐像  
 大日寺は承和(じょうわ)8(841)年、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)の創建とも伝えられる天台宗の古刹(こさつ)です。平安から鎌倉時代にかけて、上院、中院、安養(あんよう)院の3院を中心に300ものお堂が軒を競い、大いに栄えたといわれていますが、現在は安養院の跡に立つ大日寺だけが往時を伝えています。
 大日寺の木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)(国重要文化財)は、嘉禄(かろく)2(1226)年の墨書(ぼくしょ)銘をもつ半丈六の漆箔(しっぱく)像です。理知的な口元、目鼻立ちの穏やかな面立ちに平安時代の作風を受け継ぎながら、量感に満ちた姿には鎌倉彫刻の特色がうかがえます。また、本堂に石仏とともに安置されている木造薬師如来立像(もくぞうやくしにょらいりゅうぞう)(県保護文化財)は、平安時代後期の仏像です。大日寺の経塚からは、粘土板に法華経(ほけきょう)などの経文を刻んで焼きあげた瓦経(がきょう)も400枚以上出土しています。瓦経には延久(えんきゅう)3(1071)年の年号があり、制作した年のわかる最古の瓦経です。
大日寺の木造阿弥陀如来坐像
 上院の跡地には樹齢800年といわれる大日寺の大イチョウ(県天然記念物)があります。その周りには、鎌倉時代から室町時代に営まれた「大日寺式」と呼ばれる特徴のある五輪塔群が見られ、大日寺古墳群(だいにちじこぼぐん)として県史跡に指定されています。また、寿永(じゅえい)2(1183) 年の銘のある銅鐘(どうしょう)「伯書大日寺上院之鐘」(国重要文化財)が、遠く離れた島根県平田市の鰐淵寺(がくえんじ)に伝わっています。 大日寺の大イチョウと古墓群
大日寺の大イチョウと古墓群
東高尾観音寺の古仏群 山里にひっそりとたたずむ古寺では、面相さえ判然としないほど摩滅(まめつ)し破損した仏像が、それでも廃棄されることなく大切に保存されています。こうした古仏たちに触れるとき、私たちが忘れつつある信仰の深さに打たれ、思わず手をあわせずにはいられません。
東高尾観音寺の古仏群
文=中原 斉(県教育委員会文化課)


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