青谷上寺地遺跡の調査研究の中で、人々の「食生活」に関してはあまりスポットライトが当てられていないのが現状です。しかし発掘調査では、当時の食生活を語ってくれる遺物がたくさん出土しています。今回は、青谷上寺地遺跡の食生活復元への試みをご紹介します。 当時の食生活について考える時には、さまざまな方法や視点があります。まず、「何を食べていたのか」については、出土遺物からある程度分かります。例えば、植物であればトチ、クルミ、モモ、クリの実など、動物であればシカ、イノシシ、タヌキ、ツキノワグマなどが目につきます。また魚であればマグロ、タイ、フグ、貝ならばカキ、イガイといったところです。これにより、当時の食料の中身は分かりますが、それ以上のことはわかりません。 次に当然、「どれくらい食べていたのか」という疑問がわいてきます。先ほど挙げた動物では、シカとイノシシが60頭、タヌキが20頭、ツキノワグマが10頭以下となり、シカやイノシシが意図的に狩猟されていたことがわかっています。さらに、歯の擦り減り具合や生え方からイノシシの年齢を推定すると、性別に関係なく幼獣から老獣まで狩猟対象となっていたようです。メスや子供も狩猟対象とすると、近い将来にイノシシ自体の数が減少して貴重な獲物を失ってしまうおそれがあるため、オスの成獣のみを狙って狩猟していたのではないかというこちらの目論見は、見事にはずれました。このように種別ごとの出土数を調べることで、人々の狩猟の実態を、より詳細に知ることができます。 食生活を考える際にさらに問題になるのは、「どのように食べていたのか」という調理方法や食べ方についてです。青谷上寺地遺跡出土の動物骨については、鳥取大学医学部の井上貴央教授により、出土したイノシシやシカの骨には、髄を取り出すために人為的に割られているものが多いことが分かりました。人々は、骨髄には脂肪やタンパク質が豊富に含まれており、栄養価が高いことを知っていたのでしょう。 また『魏志倭人伝』には、「飲食には高杯(たかつき)を用い、手で食べる」と倭人の食事方法について書かれていますが、遺跡からは大小さまざまなスプーンが100点ほど出土しています(写真)。これをみると、人々が手づかみで食べていたという記述とは合わないような気もします。ただし、口に入れる時には手づかみであって、スプーンは大皿に盛った食べ物を取り分ける際に使う道具だったのかもしれません。 もし食べ物を取り分ける行為があったとすれば、現代と同じように家族団らんの食事風景が考えられ、さらに研究を進めれば、家族構成なども推定できるかもしれません。 このように、青谷上寺地遺跡の食糧事情を少し考えてみただけで、当時の食生活のイメージが次から次へと浮かんできます。ただし出土遺物は、それだけでは何も語ってくれない沈黙した資料ですから、そこから考古学上の有効な情報を取り出せなければ、まさに宝の持ちぐされです。私たちが知りたいと思う情報をたくさん含んでいる資料に語らせるには、これまでに述べたようなさまざまな方法や視点で分析する作業が必要です。 私たちの仕事は、全国的にみても類を見ない、豊かな考古学的情報をもつ青谷上寺地遺跡の資料たちに、饒舌(じょうぜつ)に語ってもらうことなのです。 (鳥取県埋蔵文化財センター 水村直人)
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