鉄との出会い 鉄器は稲作とそれに伴うさまざまな農工具と同じように、朝鮮半島から日本へ伝わりました。弥生時代初め、北部九州に伝わった鉄器はまだわずかで、ごく一部の人々しか手にできないものでした。やがて稲作文化が日本各地に定着したころ、中国が戦国時代をむかえ国内外が動乱した影響で、朝鮮半島製青銅器とともに中国製鉄器が日本に流入するようになりました。それらを独占した北部九州の有力者は、権威を表すものとして良質の管玉・ 勾玉を欲し、日本海を渡り山陰や北陸と交易を行ったようです。潟湖に接した海辺のムラ・青谷上寺地遺跡は、その交易ルート上に位置する重要な寄港地だったのでしょう。山陰・北陸地方で最も古い中国製鉄器(写真①、約2300年前)は、そうした背景のもとで獲得されたと考えられます。いち早く鉄に触れた青谷上寺地の人々はその効用に感嘆し、ものづくりの有効な道具として強く意識するようになったと思われます。
|  写真① 山陰最古級の鉄器(鋳造鉄斧破片・青谷上寺地遺跡) |