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荻名第3遺跡~何に使った?取っ手と注ぎ口がついた弥生土器~(南部町)

 
  • 遺跡の場所 西伯郡南部町荻名
  • 遺跡の時代 弥生時代後期(約1900年前)
  • 発掘調査した機関 (財)鳥取県教育文化財団(2000)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • この遺跡は、鳥取県西部を流れる日野川の左岸に南北に延びる「越敷山丘陵」の上にある弥生時代後期の大規模な集落遺跡「越敷山遺跡群」の一部です。調査区の北西の隅で見つかった「SI04」と名づけた竪穴建物跡では、人が住まなくなり上屋が解体された直後から、使わなくなった弥生土器や石器の捨て場所となっていたことが分かりました。このとき捨てられた土器の中に、土器の口の内面を赤い色の顔料で塗り、外側には縦長の取っ手とその反対側に斜め上にすっくと伸びる注ぎ口を取り付けたものが1点ありました。こうした特長以外は一緒に捨てられていた甕(かめ)形土器と同じで、外面にはススも付着していたので火にくべたという使われ方も同じのようです。こうした形の土器は弥生時代中期(2000年以上前)ではよく見かけるのですが、後期の中頃であるこの時期ではあまり例がありません。温めた酒を注ぐ祭器だったのでしょうか。気になる「お宝」です。荻名第3遺跡から出土した取っ手の付いた注口土器(南部町)

坂長第7遺跡~弥生人のおしゃれ・漆塗り竪櫛~(伯耆町)

 
  • 遺跡の場所 西伯郡伯耆町坂長
  • 遺跡の時代 弥生時代中期(約2200年前)
  • 発掘調査した機関 (財)鳥取県教育文化財団(2006)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 坂長第7遺跡は、鳥取県西部を流れる日野川の左岸に延びる長者原台地にある遺跡です。台地上から南東にある谷地形に下る傾斜地を発掘調査したところ、SD15と呼ぶ溝の中から漆塗りで歯をひもで結束した木製の竪櫛が出土しました。弥生時代中期のものです。櫛の頭(棟)に当たる部分は方形で、その中央に赤漆と黒漆で塗り分けられた鋸歯状の文様が表現されています。よく似た櫛が松江市タテチョウ遺跡から出土しています。漆は3層にわたって丁寧に塗り重ねられていていますが、鋸歯状文様の部分は、黒漆をベースに赤漆で三角形を塗り残して表現するという細かい工芸手法が用いられています。残念ながら、櫛の歯は失われていましたが、歯を結束した穴が頭部分に残っていたので、歯の数は少なくとも26本あったことも分かりました。弥生人の女性が長い黒髪を結うときに使った、漆の色が陽に映える美しい竪櫛だったことが想像できる「お宝」です。伯耆町坂長第7遺跡出土の弥生時代の竪櫛

長者原遺跡~弥生土器ざっくざく~(伯耆町)

 
  • 遺跡の場所 西伯郡伯耆町坂長
  • 遺跡の時代 弥生時代中期後半(約2100年前)
  • 発掘調査した機関 (財)鳥取県教育文化財団(2005)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 長者屋敷遺跡は、鳥取県西部を流れる日野川の左岸に南北に延びる長者原台地にある遺跡です。発掘調査では古代の官衙(役所)の区画溝が見つかったことが大きな成果でしたが、実は、さらにさかのぼった弥生時代の長方形(長軸約2.5m、短軸約1.3m、深さ約0.5m)の土坑(穴)の底に40個もの弥生土器が多くは破片となってはりついていました。土坑自体は土器を焼き上げる「焼成土坑」だった可能性もありますが、出土した土器の様子から土坑にまとめて捨てられたものと考えています。このため、弥生時代中期後半の一時期、日野川流域で使われた土器のかたちや文様などの特徴をよく知ることができる「お宝」です。長者原遺跡から出土した弥生土器(西伯郡伯耆町坂長)

笠見第3遺跡~土器は動く~(東伯郡琴浦町)

 
  • 遺跡の場所 東伯郡琴浦町大字笠見
  • 遺跡の時代 弥生時代中期後半(約2100年前)
  • 発掘調査した機関 (財)鳥取県教育文化財団(2002-2003)、鳥取県埋蔵文化財センター(2006)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 笠見第3遺跡は、中国地方最高峰「大山」から日本海へ延びる丘陵にある集落遺跡です。弥生時代の中期後半以降、近隣地域との交流が活発になり、それを裏付けるように近隣地域の土器が持ち込まれたり、あるいは人だけ動いて落ち着いた土地で出身地の土器をつくったり、ということが見受けられるようになります。ここにご紹介するふたつの土器のうち、左の土器(赤枠)は中国山地の向こう、吉備地域から持ち込まれた壺形土器で、首が長く胴が張るのが特徴です。祭祀に用いたらしい土器を多数埋納した穴から出土しました。外側には赤い色が塗られていることが日常生活に使うどきではないことを物語っています。右の土器も地元の土器のかたちとはやや違い、中国山地を越えてきた壺形土器のようです。こちらも外側に赤い色が模様のように塗られていて、祭祀に使われた土器だと思います。笠見第3遺跡からは、このほかにも因幡地方などから持ち込まれた土器もあります。こうした土器は、この遺跡が各地との交易の中心となるような拠点的な集落だったことを物語る「お宝」なのです。
                                  笠見第3遺跡出土の吉備系土器(東伯郡琴浦町)笠見第3遺跡出土の吉備系土器(東伯郡琴浦町)

笠見第3遺跡~海を渡ってきた鉄の斧~(東伯郡琴浦町)

 
  • 遺跡の場所 東伯郡琴浦町大字笠見
  • 遺跡の時代 弥生時代中期後半(約2100年前)
  • 発掘調査した機関 鳥取県埋蔵文化財センター(2006)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 笠見第3遺跡は、中国地方最高峰「大山」から延びる丘陵にある集落遺跡です。この遺跡に掘られた長辺1.2m、短辺0.8mの長方形の土坑(穴)には、大型の壺形土器などの土器多数などのほか、鉄製品2点が埋まっていました。何かの祭祀行為によって土器などを埋納した穴なのではないかと考えています。これら多数の出土品の中で「お宝」なのが、鋳造鉄斧(ちゅうぞうてっぷ)の破片(写真の赤枠)。鋳造とは「鋳型(いがた)」に鉄を流し込んでつくる方法で、この時代にはまだ日本列島では行われていません。なので、この鋳造鉄斧は中国大陸か朝鮮半島から北部九州を経由してもたらされたと推定される貴重品なのです。これまで、弥生時代中期にさかのぼる鋳造鉄斧は、山陰地方では鳥取市青谷上寺地遺跡(中国製)と北栄町西高江遺跡からしか出土していません。このことからも、笠見第3遺跡が地域の中核的なムラだったことがうかがえる「お宝」です。
    笠見第3遺跡出土の鋳造鉄斧(東伯郡琴浦町)笠見第3遺跡出土の鋳造鉄斧の実測図(東伯郡琴浦町)

笠見第3遺跡出土の玉作遺物(東伯郡琴浦町)

 
  • 遺跡の場所 東伯郡琴浦町大字笠見
  • 遺跡の時代 弥生時代後期前半から中頃(約2000年から1950年前)
  • 発掘調査した機関 鳥取県埋蔵文化財センター(2006)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 笠見第3遺跡は、中国地方最高峰「大山」から延びる丘陵にある集落遺跡です。このうちふたつの竪穴建物跡(SI34,SI49)から、管玉をつくる工程(「打割分割技法」と呼ばれる管玉にふさわしい大きさになるまで打ち欠いていく方法)がわかる玉作未成品や玉作の際に不要になった剥片などが多数出土。両竪穴建物跡が玉作工房だったことが分かりました。ほとんどの石材は北陸西部産の緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん)でしたが、SI49から1点だけ島根県松江市の花仙山(かせんざん)産のものがありました。花仙山産の緑色凝灰岩は古墳時代の玉作 によく使われた硬質の石材で、笠見第3遺跡出土のものは、花仙山の石材を使った最古の事例です。また、SI31から出土した穿孔途中の未成品には穿孔のための鉄の針が刺さったままの珍しい(玉未成品の写真のうち赤丸で囲った)ものも含まれていました。それまでの石の針に代わり鉄の針が使われるようになったことで、より硬い石材での管玉作りを可能にしたのです。管玉づくりの過渡期を知る貴重な「お宝」といえるでしょう。
    笠見第3遺跡出土の玉作遺物(東伯郡琴浦町)笠見第3遺跡を南から望む(東伯郡琴浦町)

湯坂1号墳丘墓出土の管玉(東伯郡琴浦町)

 
  • 遺跡の場所 東伯郡琴浦町大字湯坂
  • 遺跡の時代 弥生時代後期後半(約1850年前)
  • 発掘調査した機関 (財)鳥取県教育文化財団(2004)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 湯坂1号墳丘墓は、「勝田川」によって形成された扇状地を北東に見下ろす、中国地方最高峰の「大山」からのびる高台にありました。「墳丘墓」とはマウンド(高まり)をもつお墓のことです。この湯坂1号墳丘墓からは、38個の管玉がまとまって出土して注目を集めました。管玉は(1)濃い緑色をした碧玉性の太身のものが2個、(2)青みを帯びたものが1個、(3)硬い緑色凝灰岩でつくられたものが34個、(4)鉄石英という赤茶色をした石材でつくられたものが1個です。(1)は島根県松江市の「花仙山」産、(2)は兵庫県北部産、(3)と(4)は北陸地方西部産の石材と考えていて、それぞれ鉄針によるあなのあけ方や穴の大きさなどに違いがあることから、産地に近い場所で管玉に加工されたのではないかと思います。このように日本海沿岸の各地でつくられた管玉が、湯坂1号墓に葬られた人物の身を飾っていたわけです。弥生時代後期の管玉が広域的に流通していたことを物語る「お宝」なのです。
    湯坂1号墳丘墓(東伯郡琴浦町)で出土した38個の管玉