活動日誌

  

2012年11月5日

大山町宮内の「うわなり神事」の調査を実施

 平成24年10月29日から30日、 新鳥取県史編さん専門部会(民俗)では大山町宮内の高杉神社で4年に1度行われるうわなり神事を調査しました
 この神事の起こりは高杉神社に次のように伝わっています。
  • 雄略天皇丙辰(476)年、近郷で次々と災難が起こった。
  • 託宣(神のお告げ)によって、孝霊天皇(紀元前342年~紀元前215年:『古事記』『日本書紀』に記される第7代天皇)に仕えた2人の官女「松姫命」と「千代姫命」の霊魂が、本妻である「細姫命」に対して嫉妬していることが原因とわかった。
  • 3人の姫の社をつくって祀り、祭日には神事を行ったところ、災難は治まり幸せに生活することが出来る様になった 。
 「うわなり」とは後妻のことです。室町時代から江戸時代にかけて、後妻打ち(うわなりうち)という民間習俗がありました。夫が後妻をめとったとき、先妻が親しい女たちにたのみ、使者を送って予告のうえで後妻の家を襲い、家財などを打ち荒らすというものです(参照:小学館『日本国語大辞典』)。うわなり神事は、この習俗が神事化したものと思われます。調査に御協力いただいた、高杉神社、宮内地区の皆様に御礼申し上げます。

前夜祭の様子の写真
【前夜祭1】年番で選ばれた3人の打神(うちがみ)が高杉神社で前夜祭に参加します。

前夜祭の様子の写真
【前夜祭2】宮司がくじ引きをします。
それによって本殿(もとどの)、仲殿(なかどの)、末殿(あとどの)が決まります。

潮垢離の様子の写真
【潮垢離(しおこり)1】祭当日の早朝、3人は神社に集合します。

潮垢離の様子の写真
【潮垢離2】宮司による神事の後、3人は福尾海岸に向けて出発します。

潮垢離の様子の写真
【潮垢離3】福尾海岸に着くと、身体を清め、塩草(海藻)を拾い藁苞(わらつと)につめます。

潮垢離の様子の写真
【潮垢離4】福尾海岸に末殿の御幣を立てて帰途につきます。

潮垢離の様子の写真
【潮垢離5】藁苞と塩草の様子

潮垢離の様子の写真
【潮垢離6】仲殿は、帰る途中に仁王堂の北端に御幣を立てます。

潮垢離の様子の写真
【潮垢離7】本殿は、高杉神社に戻ってから本殿北側に御幣を立てます。

潮垢離の様子の写真
【潮垢離8】塩草が入った藁苞を奉納すると潮垢離は終了です。

潮垢離の様子の写真
【潮垢離9】塩草の様子

うわなり神事の様子の写真
【うわなり神事1】深夜11時に神社に集まった打神3人。
神事の後、宮司が御供(神饌)の飯を茅の箸で一口づつ食べさせると
打神に本殿、仲殿、末殿の神霊が憑依(ひょうい)するといいます。これを入座式といいます。

うわなり神事の様子の写真
【うわなり神事2】入座式が終わると打神3人、御幣を持った氏子が神社前の小川に行き、
打神は冷水で禊(みそぎ)をします。これを水垢離(みずこり)といいます。

うわなり神事の様子の写真
【うわなり神事3】打神3人が禊をする小川。禊の様子は撮影禁止になっています。

うわなり神事の様子の写真
【うわなり神事4】水垢離が終わると一度、神社に戻り打神3人は待機します。

うわなり神事の様子の写真
【うわなり神事5】打神3人は、神社境内に4本の竹と注連縄で設けられた神事場(じんじば)へ神幸行列します。
ここで、投げ盃式、打ち杖渡し式、打ち杖の締め直し、打ち合い式、成就式が行われます。

うわなり神事の様子の写真
【うわなり神事6】打ち合い式に使用される打ち杖。
長いものを本殿、中を仲殿、短いものを末殿が使用します。
打ち合いといっても殴り合う訳で無く、打ち杖を利き手でない方に持たせ、打ち杖を打ち合わせます。
同時に斎主が「本殿の勝ち」と大声を掛けて勝負をつけます。この様子は現在、撮影禁止です。

うわなり神事の様子の写真
【うわなり神事7】最後に打神3人は、氏子たちに御供の飯を御幣の紙に載せて配ります。
これでうわなり神事は終了します。

県史編さん室

公文書館 2012/11/05 in 県史編さん室,調査

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