第29回県史だより

目次

古文書解読ボランティアの現状

 県史編さん室では、新鳥取県史編さん事業を県民参画のもとに進めるため、昨年6月に「古文書解読」「中世石造物調査」「民具調査」の3つの分野で、県史編さん協力員(ボランティア)」の募集を開始し、昨年度は延べ81名の方に応募いただき、この内、「古文書解読」の分野は、現在も約50名の方が熱心に活動に参加されています。

 ボランティアの皆さんに解読いただいているのは、江戸時代の鳥取藩「家老日記」、および明治初期に鳥取県が政府に提出した「鳥取県史料」で、ともに県史上の重要史料です。個々のボランティアの方には、担当する部分の史料コピーをお渡しして、それを自宅等で解読していただき、パソコンに入力し、入力したデータを当室に提供していただくという形をとっています。また、毎月1回、東中西3ヵ所で、古文書を解読する上での基礎知識の講座と、各自が解読した原稿の読み合わせを行う月例会を開催しています。

 この活動は、県立博物館が6年前から設けていた古文書解読ボランティアが母体となっており、昨年度から、東部での月例会を県立博物館と当室との共催事業とし、さらに昨年は当室のみで行っていた中西部の月例会も、今年度から県立博物館との共催事業として、博物館の学芸員に中部・西部地区での月例会にも講師として参加いただいています。

「家老日記」の面白さ

 解読対象としている鳥取藩「家老日記」は、県立博物館が所蔵する「鳥取藩政資料」に含まれており、承応4(1655)年から明治2(1869)年まで、途中欠けている時期が若干あるものの、ほぼ江戸時代の全時期にわたって残されています。家老は藩政の中枢であり、藩内のさまざまな情報が届けられ、また、さまざまな決定を行う役職であるため、その日々の動きを記録した日記は、鳥取藩政を知る上で、最も重要な史料といえます。なお、「日記」という言葉から、家老個人の私的な記録を想像されるかもしれませんが、家老日記は公的なもので、現在であれば「日誌」というべきものです。また、鳥取藩の家老は同時期に数名が任命されており、家老自身が実際に書くわけでなく、家老が詰めている鳥取城内の「御櫓(おやぐら)」で、家老の秘書的な存在である御帳奉行たちが記録したものと思われます。

  「家老日記」に記載された内容は、大きく分けると以下の3つになります。

(1)藩主の動静と諸儀式
(2)藩士の相続、任免、賞罰
(3)藩の各部署からの諸伺いとその対応

 (1)の例をあげれば、藩主は、毎年の年頭や毎月1日と15日に、藩士から「御礼」を受けることとなっており、上級藩士は、直接藩主が謁見し、下級藩士は、備え付けの帳面に記帳することとなっていましたが、このような「御礼」は、藩主と藩士を繋ぐ重要な儀式ですので、かなり詳しく記されます。勿論、藩主の外出等の動きも記載されますし、毎月行われる池田家歴代の法事等も多くの記述があります。

 (2)は、藩士に関するものです。藩士の人事は藩主の権限で、最終的には藩主の許可を得る必要がありますが、その人事案は家老を経て藩主に伺いが立てられますので、日記の中には、藩士の家督相続や婚姻・養子縁組、様々な役職への任免の記事があります。また、藩士の賞罰の記事も、現在から見ると驚く程多くあります。遅刻や文書の書き間違いといった少しのミスでも、謹慎等の処分が行われ、さらにそれが親族にまで及ぶため、これだけ謹慎を命じて事務処理が進むのだろうかと心配になるほど、藩士の謹慎に関する記事は多く見られます。

 (3)は、藩政に関するものです。家老の下には、民政を担当する郡代や町奉行、寺社を統括する寺社奉行、水運や海岸警備を行う御船手(おふなて)等々、さまざまな部署があり、それぞれ藩政を分担していました。また、江戸や大坂、京都などの御留守居(おるすい)たちも家老の管轄下にありました。それぞれから、少しでも変わったことがあれば、家老の元に報告が行われたため、藩内外で起こったさまざまな事象が、家老日記には記録されることになります。

 家老日記は、このような情報が、日を追って書き継がれているため、藩の組織が、日々どのように動いていたかが、リアルに分かります。多くのボランティアの方が、解読を継続いただいている最大の理由は、当時の藩のさまざまな動きが読み取れる、家老日記の内容の面白さにあると思います。また、文字は清書されていて比較的読みやすいくずし字であること、一つの項目が短い文章で書かれていることが多く、解読の目標が立てやすいことも、解読を継続いただいている大きな理由かと思います。

「家老日記」の難しさ

 しかし、家老日記を解読する上で、難点もいくつかあります。

 その第一は、なんと言ってもその量の多いこと。家老日記は、国元に残された「控帳(ひかえちょう)」だけでも242冊あり、ページ数にすると全部で約15万ページになります。これを活字にして刊行するとなると、1,000ページの本30冊くらいの分量になるかと思われます。現在、ボランティアの方に精力的に解読していただいていますが、全てを解読しきるには、今のペースでも少なくともあと数年はかかりそうです。その全体が明らかになるには、まだ当分時間がかかります。

 もう一つ、解読する字体の問題があります。ボランティアの皆さんには、当初は比較的読みやすい幕末のものから解読いただいていました。幕末の家老日記は、専門の書き手によって清書され、文字も比較的大きく、きれいなくずし字で書かれていますが、時代を遡ると、記録の体制が整備されていないためか、文字も小さく、また読みにくい字で書かれています。解読すべき対象が、難しいものが多くなっているのが現状です。


家老日記、享保3(1717)年正月元日部分の写真
享保3(1717)年正月元日部分

家老日記、万延元(1860)年正月元日部分の写真
万延元(1860)年正月元日部分

全文解読に向けて

 家老日記は、ボランティアの皆さんを中心に、精力的に解読を進めていますが、この解読が進み、パソコン上で情報を検索できるようになると、大きなメリットがあります。家老日記は、日付順に記載されているため、特定の年月に起こったことについて調べるには便利ですが、それに関係する事項を他の時代で探そうとすると、いちいち史料をめくらなければならず、非常に労力のかかる作業でした。しかし、この解読ができれば、欲しい情報をキーワードで検索が可能となります。例えば、重要人物の名前をキーワードにして検索すれば、従来知られていない細かな経歴等も明らかになると思われます。地名をキーワードにすれば、その土地に関する記載がどこにあるか、さほど時間をかけずに探すことができます。そのための解読作業に、県史編さん室は引き続き取り組んでいきます。

(坂本敬司)

活動日誌:2008(平成20)年8月

2日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、坂本)。
3日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、坂本)。
4日
資料調査(国立国会図書館関西館、西村)。
5日
民俗調査(鳥取市青谷町、樫村)。
7日
人権尊重社会を実現する鳥取県研究集会(~8日、倉吉未来中心、坂本・西村)。※西村は8日のみ参加。
11日
義勇軍聞き取り調査(倉吉市、西村)。
13日
史料調査(県立博物館、岡村)。
14日
民俗(陸上の墓踊り)調査(岩美町陸上、樫村)。
16日
民俗(夏泊の精霊送り)調査(鳥取市青谷町、樫村)。
19日
史料調査(島根県立図書館、大川)。
東部海岸部共同民俗調査(~22日、岩美町・鳥取市青谷町他、樫村)。
21日
倉吉市東中学校区同和教育研究協議会講師(倉吉市上灘公民館、坂本)。
22日
義勇軍聞き取り調査(八頭町、西村)。
25日
女子拓殖訓練指導者聞き取り調査(大山町、西村)。
26日
民具調査(~27日、鳥取市・琴浦町・日南町他、樫村)。

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編集後記

 9月末になり、急に涼しくなってきました。しばらく坂本室長のコラムを休載しておりましたが、今回は長文掲載です。内容は古文書解読ボランティアの現状、ボランティアの皆さんが解読中である鳥取藩「家老日記」についての紹介です。古文書をはじめ、石造物調査、民具調査においてもボランティアの皆様が県史編さんにおいてはすでに重要な役割を果たしています。この場にて御礼申し上げます。

(樫村)

  

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