日本最初の歴史書「古事記」には、大和朝廷が諸国に鳥を捕らえさせ、これを税として納めるように命じていたという一節があります。そして、当時、鳥取平野には、沼や、沢の多い湿地帯で、水辺に集まる鳥などを捕らえて暮らす狩猟民族が住んでいました。これらの人々が、大和に政権ができてからその支配体系に組み込まれ、「鳥取部」として従属するようになり、そこからこの地の呼び名「鳥取県」が生まれたとされています。これはほんの一例で、鳥取県には、素晴らしい伝統文化や豊かで美しい自然とともに、神話から続く伝説や地元で代々語り継がれる昔話、逸話がたくさん残っています。その地にまつわるお話は、その地の風土、歴史や文化をよりよく知る手掛かりになります。
  

八上姫と大国主命

 古代―大国主命(おおくにぬしのみこと)が須佐男命(すさのおのみこと)の命令で国づくりを始める少し前の話である。

 神々の里出雲で大国主命の異母兄弟八十神(やそがみ)達は、因幡の国八上の郷(現河原町)に美しい姫がいると伝え聞き、この八上姫をめとろうと考えた。八十神達は、弟の大国主命に八上姫への贈り物をすべて持たせると、弟を待つことなく因幡の国へと向かった。途中の海岸で傷ついた白ウサギが泣いていたが、八十神達はこれに誤った治し方を教えて笑いものにし、大国主命はわけを聞いて助けた。

  さて、先に八上の郷にたどり着いた八十神達は八上姫に求婚したが、ことごとく断られてしまう。やがて遅れて着いた大国主命に八上姫は「私の慕うお方はあなたです」と告げる。姫は、一目で人となりを判断できる聰明な女性だったのだ。

 この二人のロマンスにちなんだ地名が鳥取市河原町には今も残っている。例えば、大国主命が贈り物をつめた袋を捨てた千代川の河原が「袋河原」、恋文を書いたところが「倭文(しどり)」。また「円通寺」は、二人が縁を通じた「縁通路」に由来するとか。

 ところで、その後の話。二人は八上の郷で幸せな結婚生活をはじめ、やがて子供をもうけた。これをきっかけに、姫は夫とともに出雲に行くことになったが、そこに待ち受けていたのは正妻の須世理姫(すせりひめ)。気性が激しく嫉妬深い彼女と折りが合わず、八上姫は子供を残して因幡へ帰る。

 傷心の姫を郷の人々は優しく迎える。そして、姫は死後、売沼(めぬま)神社にまつられ、その裏山にある嶽(だけ)古墳は、姫の墓と伝えられている。