第2回県史だより

目次

室長コラム(その1):「県史」はいつ出来るんですか?

 県史編さん室が設置され、2ヵ月が経過しました。開室以降、本格的な編さん事業に向けて、編さん委員会・専門部会の設置と会議の開催などの編さん組織作り、各時代・分野ごとの具体的な編さん内容の検討を進めていますが、この間一番よく受けた質問、そして答えに困る質問が、「県史はいつ出来るんですか」というものです。

 「県史」というと、分厚い本が何冊もできることを想像されるかもしれませんが、今回の県史編さんは、原始古代から現代までの全時代を対象とすることは共通認識されていますが、全体の構成や巻数などは、現時点で明確に決まっている訳ではありません。また、編さんの成果は、書籍という形態でまとめることも自明としているわけではありません。IT技術の進展は、様々な媒体での情報のやりとりを可能にしており、県史をどのような形でまとめるのが適当か、それについても検討をしているところです。

 このように、未確定の要素が多いこともありますが、歴史の編さん自体、本来いつまでと期限を区切ることが難しい事業であるように思います。歴史の見方は時代によって変化し、かつて誰も関心を向けなかった事象が、新しい視点によって重要な問題と認識されるようになったり、重要だと思われていた事項でも、視点の変化によって評価が大きく異なってしまう場合があります。歴史は、絶えず見直されつづけています。また、私たちの今日の営みは、明日には過去となり、その意味で、歴史は絶えず生まれ続けています。それを記録し後世に残すことは、いつの時代にも行われるべきことと思います。

 県史編さん事業は、このような意味で、永続的な事業でありたいと考えています。そして、当面今後10ヵ年の計画を立て、その間に何を行うべきか、どこまでできるかを検討しているところです。そして、成果は10年後にまとめて出すのではなく、出来たものから順次公開していきたいと考えています。

 以上のような考えから、「いつ出来る」という質問への答えは、「県が続く限り編さん事業は必要で、その意味で県史に完了はありません。ただ、編さんの成果は、まとまった部分からどんどん公開します。」ということになります。わかりにくい答えかも知れませんが、これが正直なところです。

 最後に、「いつ出来る」より重要な質問について答えたいと思います。その質問は、「県史は何のために作るのか」ということです。私たちの答えは、「地域の歴史を知り、地域に誇りをもてる人づくり」のため。これが県史編さん室のミッションです。

(県史編さん室長 坂本敬司)

史料紹介:『岩美郡生産力調査書』

 ここで『岩美郡生産力調査書』と呼んでいるのは、明治32(1899)年の岩美郡を対象とした統計調査書で、鳥取県立公文書館に所蔵されている3冊組の史料のことです。調査の方法や定義がよく分からないため、信頼度をどの程度と見るのかは難しい問題ですが、この時期の統計としては珍しいほど多彩なデータを記載していることが、この史料をたいへん興味深いものとしています。いくつか例を挙げると、当時の岩美郡の人々はどういった産業に従事し、どのくらいの収入を得て、いくらぐらいの税金や小作米を払っていたのか、貯蓄額や証券の保有状況はどうだったのか、どんな食料をどれだけ消費していたのか、日用品の購入額は―。そういったデータが村単位の統計数値として記載されているのです。

『岩美郡生産力調査書』の写真
『岩美郡生産力調査書』全3巻(鳥取県立公文書館所蔵)

 3冊の実際の表紙には、それぞれ「鳥取縣岩美郡生産力調査書(明治三十二年調)」、「鳥取縣岩美郡各村生産力調査書(明治卅二年調)甲」、「鳥取縣岩美郡各村生産力調査書(明治卅二年調)乙」と印刷されており、順に岩美郡全体、旧邑美・法美両郡の15ヶ村、旧岩井郡の14ヶ村を対象とした様々な統計表が記載されています。体裁をもう少し詳しく見ると、1ヶ村ごとに章立てや丁数が完結し、次の村の部分では始めから振り直されているので、もともとは各村ごとに独立して編集された調査書が後に合本されたものと考えられます。実際、鳥取県立図書館には、個別に製本された美保・法美の2村分の調査書が所蔵されています。しかし、これらのいずれにも書誌情報の記載がなく、編集者・発行者・発行年などについては、はっきりしていません。

 作成の経緯なども現在のところ不明ですが、その一端を窺わせる資料に、明治36(1903)年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会の出品目録があります。この目録のなかに「岩美郡生産力調査書」の名前が確認できますので、博覧会への出品を念頭に作成されたのかもしれません。また、出品者は「岩美郡代表者 岡崎平内」となっていますが、岡崎平内(可観)は、この頃に岩美郡長と岩美郡農会会長を兼任していた人物ですから、岩美郡か岩美郡農会が主体となって調査・刊行されたのではないかと考えられます。

 内容の方は、必ずしも各村で統一が図られているわけではないものの、おおよそは以下のような構成で共通しています。まず、記述によって村の地理や風土が説明され、その後、各種の統計表が掲げられます。統計項目は、人口・戸数、土地所有状況、各産業の生産高と生産費用、労働賃金、そして消費統計などと、冒頭でも例を挙げたとおり非常に多岐にわたっています。

 ところで、このような記載内容は、「郡是・市町村是資料」によく似ています。「郡是・市町村是資料」とは、明治中期から昭和初期に全国各地で作成された資料の一般的な総称です。作成の意図は、統計調査を中心とする現状把握をもとに、疲弊する農村経済の再建計画(是)を策定することにありました。そのため、記載内容も、地域の産業・経済に関する統計表や記述的説明を掲げた後、将来の計画(是)を述べるといった構成が一般的です。『岩美郡生産力調査書』には計画(是)にあたる部分の記載はありませんが、「郡是・市町村是資料」と共通した農村経済再建の思想を背景に作成されたものと考えてよいでしょう。ちなみに、鳥取県分の「郡是・市町村是資料」としては約30点ほどの現存が確認されています。

 今後の県史編さん事業においても、これら「郡是・市町村是資料」や『岩美郡生産力調査書』のような貴重な史料を掘り起こし、活用していきたいと考えています。

(注)『岩美郡生産力調査書』について、より詳しくは大川篤志「鳥取県関連の郡是・村是資料と『岩美郡生産力調査書』」(鳥取地域史研究会編『鳥取地域史研究』第5号,2003)を参照。岡崎平内(可観)については、さしあたり鳥取県立図書館ホームページの「鳥取県郷土人物文献データベース」を参照。第5回内国勧業博覧会の出品目録については、第五回内國勸業博覽會事務局『第五回内國勸業博覽會出品目録 第九部』(1903,【復刻版】『明治前期産業発達史資料 勧業博覧会資料31』明治文献資料刊行会,1973)273ページによる。「郡是・市町村是資料」については、一橋大学経済研究所日本経済統計情報センター編『「郡是・町村是資料マイクロ版集成」目録・解題』(丸善,1999)に依拠。

(大川篤志)

活動日誌:2006(平成18)年4~5月

4月 3日
辞令交付。県史編さん室発足。
14日
ホームページ開設。
24日
鹿児島県視察(~25日、西村・大川)。
25日
編さん委員・部会委員の就任依頼。
5月17日
編さん委員・専門部会委員の委嘱。
県内中世文書の写真類の調査(鳥取県立博物館、岡村)。
18日
専門部会(中世)開催
「鳥取県歴史」調査(鳥取県立図書館、西村・大川)。
19日
鳥取市立北中学校職場体験受け入れ。
26日
中世石造物報告書・写真類の調査(岡村、文化課中森主事とともに)。
30日
専門部会(近世)開催

「県史だより」一覧にもどる 

「第3回県史だより」詳細を見る

  

Copyright(C) 2006~ 鳥取県(Tottori Prefectural Government) All Rights Reserved. 法人番号 7000020310000