石棺展示室

展示施設について

 県内で見つかった石棺を展示しています。屋根を付けることで、天候による石棺の傷みを少なくしたり、落ち葉によって石棺が埋もれてしまうことがなく、見学もしやすくなっています。
 展示している石棺には非常に珍しいものもあり、事前にご連絡いただけると展示解説を行いますので、郷土の歴史学習にご活用ください。
石棺を展示する施設

[平成30年5月掲載]

展示している石棺

施設で展示している石棺についてご紹介します。[平成30年5月掲載]
  

箱式石棺(はこしきせっかん)

復元した箱式石棺 右側の石棺はイキス3号墳(倉吉市)、左側の大小2つの石棺は大口9号墳(青谷町)でみつかったものを移して復元しています。
 石棺のそばにある大きな石の板は棺のふたに使っていたものです。いずれも古墳時代(今から1600年前)のもので、この時代には鳥取県内でも多数の古墳が造られています。
箱式石棺の模式図

家形石棺(いえがたせっかん)

小畑7号墳の家形石棺 岩美町小畑(こばたけ)7号墳(古墳時代後期、今から約1400年前)の石室の中から発見されたものです。「ふた」の形が家の屋根に似ていることから家形石棺と呼んでおり、県内では岩美町を中心に見られる特殊なものです。
 「ふた」に付いている出っ張りは縄掛突起(なわかけとっき)というものですが、ふつうの家形石棺と異なり、棺の身(本体)にも2個の縄掛突起がつけられているという珍しいものです。
 家形石棺の模式図
  

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


埋蔵文化財センターについて


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