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海を渡ってきた鉄の斧(大山町殿河内ウルミ谷遺跡)

 
  • 遺跡の場所 西伯郡大山町殿河内
  • 遺跡の時代 古墳時代中期から飛鳥時代(5世紀から7世紀)
  • 発掘調査した機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 「お宝」の保管場所 鳥取県埋蔵文化財センター
  • この遺跡は、中国地方最高峰「大山」の裾野がもっとも日本海に張り出した位置にあり、裾野が長い年月の水流で削られてできた谷間に遺跡が広がっていました。その低地部分と谷の西側斜面に飛鳥時代に造成されていた平坦面を中心とした場所から、鍛冶に関する遺物のほか鉄製品が30点近く出土。その中には、朝鮮半島製とみられる鍛造(熱した鉄素材をつちで打ちながら形を整えて製品化していく方法)の鉄斧(刃の部分が左右に張り出すかたちから「有肩鉄斧」と呼びます)が2点(画像左側の下から二点目とその右斜め上)と、鍛造品の素材と考えられる棒状の鉄製品(画像中央、有肩鉄斧の右隣り)が含まれています。いずれも錆の進行は進んでいるものの、鉄本来がとても良好に残っていました。谷の水分が酸素をさえぎるいわば「真空パック」の環境にあったため、と思います。有肩鉄斧は古墳時代中頃(5世紀)のもので、当時、朝鮮半島からもたらされたと考えています。山陰地方で弥生時代以来続く、朝鮮半島との交易を物語る貴重な「お宝」です。                     殿河内ウルミ谷遺跡で出土した鉄製品

須恵器を焼いていた窯の痕跡(大山町殿河内ウルミ谷遺跡)

 
  • 遺跡の場所 西伯郡大山町殿河内
  • 遺跡の時代 古墳時代終末期から平安時代(7世紀から9世紀)
  • 発掘調査した機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 「お宝」の保管場所 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 中国地方最高峰「大山」から延びる丘陵と丘陵の間にできた谷間にある遺跡です。ほ場整備が行われたときに造成した土の中から、溶着したり変形した須恵器や窯滓(高温によって溶けた粘土の塊で須恵器の破片が付着)などの須恵器を焼いた窯に関連する遺物が大量に出土しました。須恵器の大半は古墳時代終末期(7世紀)のもので、この100年近い期間は前半期を中心に継続して須恵器を窯で焼いていたようです。また、その後も、断続的に奈良・平安時代にかけて須恵器を焼いていました。伯耆地域では、これまでに東伯耆で鳥越山窯跡群(倉吉市/6世紀後半~7世紀前半、8世紀)、西伯耆ではこの遺跡の西0.4kmにある下市築地ノ峯東通第2遺跡(大山町/9世紀後半)などが発掘調査されています。今回の調査成果から、西伯耆では、この遺跡や下市築地ノ峯東通第2遺跡がある大山山ろく一帯で、古墳時代終末期から平安時代中期にかけて須恵器づくりが行われていたのでは、ということが分かってきました。             殿河内ウルミ谷遺跡で見つかった須恵器の窯跡関連資料 

山陽へ越える要路を見下ろす前方後円墳(日南町霞17号墳)

 
  • 遺跡の場所 日野郡日南町霞
  • 遺跡の時代 古墳時代前期末から中期前半(4世紀から5世紀)
  • 発掘調査した機関 (財)鳥取県教育文化財団(2000)
  • 「お宝」の保管機関 日南町教育委員会
  • 眼下に日野川を見下ろし、山陽地方へと越える中国山地の峰を望む尾根に造られた日野郡域では最古の前方後円墳です。全長は20m。葺石が葺かれ、尾根の先端(西)側に後円部を向け、後円部に竪穴式石室、その南隣とくびれ部に箱式石棺がそれぞれ1基ありました。このうち、竪穴式石室からは倭で造られた鏡(内行花文鏡)が1枚、ヒスイ製の勾玉3個とガラス製の勾玉1個、鉄刀1本、鉄剣1本、鉄鏃(やじり)2本、土師器の高杯1個などが出土。死者とともに副葬された遺物です。また、竪穴式石室の隣にある箱式石棺からは、ヒスイ製の勾玉1個と刀子と思しき鉄製品の破片が、もうひとつの箱式石棺からも鉄製の刀子1本が出土しています。竪穴式石室に副葬されていた鏡は、何度も何度も人の手で触られたらしくすっかり文様が磨り減っていました。古墳は町の希望で移築され、出土品も町で大切に保管されています。                                       霞17号墳霞17号墳の竪穴式石室霞17号墳出土勾玉霞17号墳出土の青銅鏡霞17号墳出土の鉄刀と鉄剣

古墳時代の「大山さん」信仰?(伯耆町越敷山古墳群金廻地区)

 
    • 遺跡の場所 西伯郡伯耆町金廻
  • 遺跡の時代 古墳時代中期(5世紀)、後期(6世紀)
  • 発掘調査した機関 (財)鳥取県教育文化財団(2011-2012)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 越敷山古墳群は、鳥取県西部にある越敷山丘陵に分布する古墳群で125基の古墳が見つかっていますが、発掘調査されたのは今回が初めてです。金廻地区は越敷山丘陵から枝分かれした尾根の上にあり、このうち10基が発掘調査されました。その結果、中期前葉頃に造られた121号墳を端緒に、その後、尾根頂部の51号墳から後期前葉の75号墳まで尾根を下方に向かって順序良く造られ、再び尾根頂部に戻って99号墳が築造されました。埋葬施設は1基を除き箱式石棺で、概ね東向きに頭を置いて埋葬されていたことが分かります。この古墳群から東の方向には中国地方最高峰の大山(標高1729m)が望めるので、大山をかなり意識して埋葬されたことが伺えるのが大きな特徴です。副葬品で注目されるのは、51号墳の埋葬施設1(画像中段右、左は49号墳の埋葬施設)からのもの。鉄剣、鉄刀、鉄鉾、鉄斧の他、管玉、勾玉、櫛と豊富な副葬品が出土しました。中でも鉄鉾は朝鮮半島(百済・伽耶)系のものとみられ、この石棺に葬られた人物が地域の有力者だったことを物語ります。越敷山古墳群(金廻地区)から望む大山49号墳人骨出土のようす51号墳埋葬施設1出土の人骨51号墳埋葬施設1出土副葬品51号墳埋葬施設1出土の副葬品

いつまでたっても「ナゾ」の土器(北栄町中浜遺跡)

 
  • 遺跡の場所 東伯郡北栄町弓原
  • 遺跡の時代 古墳時代前期(4世紀)
  • 発掘調査した機関 (財)鳥取県教育文化財団(2004)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • この土器は一般的に「山陰型甑(こしき)形土器」と呼ばれる円筒形をした土器です。弥生時代後期後半(1800年前頃)に西伯耆(鳥取県西部)または出雲 (島根県東部)で出現し、その後、山陰地方を中心に四国、近畿、北陸地方などに分布が広がり、おもに集落遺跡の竪穴住居跡から出土することが特徴です。円筒の外側には取っ手がつくものが多いですが、その取っ手も円筒がすぼまった方に一対だったり、広がった方にもついたり、さらに、取っ手の向きも縦だったり横だったりとバラエティーがあります。すべての集落遺跡、竪穴住居跡で出土するわけではないので、日常的に使われた土器ではないことはまず間違いないのですが、では何のための土器なのか?というナゾは最初の発見から半世紀近く経つ今も分かりません。中浜遺跡の竪穴住居跡からは3個出土し、これはひとつの住居跡からの出土数としては最多です。ナゾを解く鍵はどこにあるのか、この遺跡での出土の仕方や数にもヒントがあるのか、興味が尽きない「お宝」です。
    山陰型甑(こしき)形土器(北栄町中林遺跡出土)

箆津乳母ヶ谷第2遺跡~古代びとの玉飾り~

 
  • 遺跡の場所 東伯郡琴浦町大字箆津(のつ)
  • 遺跡の時代 古墳時代終末期(7世紀)
  • 発掘調査した機関 鳥取県埋蔵文化財センター(2007)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 箆津乳母ヶ谷第2遺跡は、中国地方最高峰「大山」から延びる丘陵の先端近くにある遺跡です。斜面をテラスや段のように掘削、盛土して平坦地をつくり、そこに竪穴建物などを建てていました。このうち、竪穴建物6(b)の床から首飾りのように身につけていたかのまとまり方で29点の玉類が見つかりました。内訳は、めのう製の勾玉4点、碧玉製の勾玉1点、管玉4点、丸玉2点、緑色凝灰岩製の管玉1点、水晶製の丸玉4点、濃い紺色をしたガラス小玉4点、スカイブルーのガラス小玉9点。このうち、めのうと碧玉は島根県松江市の花仙山産と考えています。古墳時代の終り頃、県内でこれまで出土した玉類の多くは古墳からのもので、竪穴建物跡からの出土はこれで3例目です。この時代は、地方でも古代寺院が作られ始める時期。まさに時代の分かれ目です。そうした時代に生きた人々の玉飾りにはどのような想いや意味がこめられていたのかを考えるうえで貴重な「お宝」です。  
                                                                                箆津乳母ヶ谷遺跡出土の玉類(東伯郡琴浦町)箆津乳母ヶ谷遺跡出土の玉類(東伯郡琴浦町)                         

笠見第3遺跡~古墳時代の鍛冶屋さん~(東伯郡琴浦町)

 
  • 遺跡の場所 東伯郡琴浦町大字笠見
  • 遺跡の時代 古墳時代中期(5世紀)
  • 発掘調査した機関 鳥取県埋蔵文化財センター(2006)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取県埋蔵文化財センター
  • 笠見第3遺跡は、中国地方最高峰「大山」から延びる丘陵にある集落遺跡です。遺跡の西側から古墳時代中期の鍛冶炉と鍛冶をする工人の「足入れ穴」ではないかと推定する土坑(穴)、それに鍛冶作業の際の「鉄床石の設置穴」の可能性がある土坑が、南北約5m、東西約3mの範囲で見つかりました。ムラからは離れた場所にあるので鍛冶専門の工房跡と考えています。弥生時代の鍛冶は、鑿(のみ)で切ったり折り曲げる加工をするといった低温でもできるものでしたが、この頃には高温での鍛冶作業ができるようになり、高温での鍛接から低温での素延べ成形にいたるまでの作業が一連で行われていたことが分かりました。鍛冶遺構から出土した鍛造品の破片だけで7kgを超える量があるので、笠見第3遺跡のムラの中だけで使われる小型農耕具づくりにとどまらず、より広域に流通する鍛造鉄器を製作していた可能性もあります。古墳時代中期の鉄鍛冶工人の技術を知る上で貴重な「お宝」です。
                                                           笠見第3遺跡で見つかった鍛冶炉(東伯郡琴浦町)笠見第3遺跡から出土した鍛冶関連遺物(東伯郡琴浦町)

里仁32号墳出土の「因幡型」円筒埴輪(鳥取市)

 
  • 遺跡の場所 鳥取市里仁(さとに)
  • 遺跡の時期 古墳時代前期(約1750年前)
  • 発掘調査した機関(年度) (財)鳥取県教育文化財団(1984)
  • 「お宝」の保管機関 鳥取市教育委員会
  • 埴輪は、古墳の上を何段にも囲むように立て並べられるのが一般的な使い方ですが、里仁32号墳では第3号埋葬施設で「棺(ひつぎ)」として使われていました。円筒埴輪を「棺」として使用することもまた珍しいことではありません。この埴輪が特異なのは、ふつうの円筒埴輪であればまさに「筒」のようにまっすぐ立ち上がって大きな口をあけているのですが、この埴輪では上部がドーム状にすぼまって、その上に断面が「く」の字になる口縁部が取り付いている点です。こうしたかたちの円筒埴輪は因幡地域と丹後地域の一部からしか出土しないローカル色豊かなものであることから、「因幡型」円筒埴輪と呼ばれています。本例はその「因幡型」円筒埴輪の初めての発見例です。しかも、両サイドには「鰭(ひれ)」と呼ばれる四角い突起もつきます。数少ない「因幡型」円筒埴輪の中で「鰭」がつくのはこの埴輪だけということで、二重の意味で「お宝」なのです。
     

  • 里仁32号墳出土の「因幡型」円筒埴輪(鳥取市)里仁32号墳出土の「因幡型」円筒埴輪(鳥取市)里仁32号墳出土の「因幡型」円筒埴輪の実測図