第1回「法勝寺電車~わが国最古の木造三等客車~」

 鉄道ファンのことを俗に「鉄(てつ)」といい、「乗り鉄」「撮り鉄」など…いろんな楽しまれ方がありますが、鉄道は近代日本フ50号客車の発展を支えてきたものであり、近年、近代化遺産あるいは産業遺産として評価されるようになってきました。鳥取県教育委員会でも、平成23年3月に「旧日ノ丸自動車法勝寺鉄道車両」を保護文化財に指定しました。

 法勝寺鉄道(通称:法勝寺電車)は、大正13(1924)年から昭和42(1967)年の間、現在の米子市と南部町法勝寺をつないでいた電車で、「チンチン電車」と呼んで親しまれた地方鉄道でした。右の写真は米子市元町パティオ広場に保存されている法勝寺電車のフ50号客車です。直線的なフォルムの小さな車両ですが…さてさて横から見ると、窓の大きさで何か気がつきませんか?

窓拡大

「小さな窓と大きな窓があって妙に不ぞろいですね~。」

「実は…小さな2つの窓の隣の大きな窓のところは、もともとは扉だったのです。」

「この客車には両側面に5つの扉があり、乗客は車内で前後に移動せず、個室のような区分席ごとの扉から乗降していました。」


 現在、こんな客車は見かけませんが、昔のヨーロッパの映画では、駅に到着した客車の各扉から一斉に乗客がホームに降りてくるシーンを見ることがあります。

 記録によると、明治20(1887)年にイギリス・バーミンガムの工場で製作されたこの客車は、遥か日本に輸出され、各地の鉄道で活躍した後に法勝寺電車で約40年前に役目を終えました。小さな「マッチ箱」のような車体の前で耳を澄ませると…明治時代の近代化の足音や、通勤・通学に使われた電車の中で夢を育んだ人々の笑い声が聞こえてきそうです。


  

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