第110回県史だより

目次

明治14年 鳥取・島根の事務引継トラブル~地方税分割問題~(前編)

はじめに

 近代部会では、島根県公文書センター所蔵の『鳥取県へ事務引渡書』の調査を行っています。この資料は、1876(明治9)年の鳥取県合併と1881(明治14)年の鳥取県再置の際に発受された島根県の関係文書類をまとめた資料で、当時の引継事務の様子がわかる大変貴重なものです。今回は、これらのうち「群1-1887」というグループにまとめられている明治14年の地方税分割処理に関係する文書群から、地方税分割問題に関わる再置直後の鳥取県と島根県と間のやりとりを紹介しようと思います。

 なお、この地方税問題はすでに旧鳥取県史(注1)にとりあげられています。この中では、年度中途の新県設置にともなって同年度の地方税収入をどのように分割するか鳥取・島根両県で大きな見解の相違があったこと、さらに両県がそれぞれどんな主張をし、裁定の末どういう結果となったかについて、政府に裁定を仰いだ際の中央の資料を元に、その経過の概要が述べられています。

 一方『鳥取県へ事務引渡書』には、政府に伺をたてる以前に鳥取県と島根県の間で直接交わされた文書が残されています。したがって、政府裁定に持ち込む前段階で行われていた当事者同士のやりとりをさらに詳しく知る事が出来ます(注2)。それでは両県でどのようなやりとりがあったのか、以下みていきましょう。

地方税分割方法をめぐる鳥取県と島根県のやりとり

 まず、両県の間での一連のやりとりは、引継前の明治14年11月(日は不明)に、引継元の島根県から「嶋根鳥取両県地方税分割法」が鳥取県に示されることより始まります(注3)。それには、「1-(1)既定された支出予算額を根拠とし 、1-(2)総額から引継日(11月24日)以前の分を割引いた額を出し、1-(3)各予算種目毎に分割の可否を仕分け、さらに分割するものはその分割方法を示し、1-(4)そのうちの多くを占める人口・土地に応じて分割する費目については、鳥取35.5071%、島根64.4929%の比で分ける」といった事項が記されています。島根県はこの案をもって鳥取県の同意を取り付け、その上で地方税分割に係る事務引継を無難に進めたかったのでしょう。

 ところが、これについて鳥取県令の山田信道は、同月24日付の文書で早速に返答、その中で疑義を唱えます(注4)。それは、「2-(1)地方税分割は支出予算額でなく、地方税の賦課科目によるべき 、2-(2)地方税を資源とした動・不動産をも分割対象とし、例えば松江一箇所のみに存在するもの等はその資産価値を測り、応分に分割すべき(島根案は分割しないことになっている)、2-(3)それ以外は了承」というものでした。

 山田(鳥取県側)は島根案のどういう点に不満があったのでしょうか。そのイメージを図示しながら、少しポイントを整理しましょう。

上記イメージ図

 鳥取県側の主張ポイントは、

3-(1)地方税の分割について、両県の配分額を定めるにあたっては、不公平を生じる「支出額」からの算定では無く、より平等を期せる「収入額」からの算定を行うべきである。
 3-(2)県有財産について、特に松江など島根県側に残される土地・建物などの財も、これまで因伯の民が負担したものを含む税金から成立しているものであり、この資産についても相応勘案して、因伯がそれまでに負担したであろう相当額を算出し、鳥取県に配分すべきである。

となります。

 この、島根県が提案した計算法の根拠を覆すかのような山田署名の意見書を、島根県側はどう受け止めたのでしょうか? 島根県が発した29日付の返書をみてみましょう。(注6)

 上記3-(1)について
「地方税ハ、一年度ヲ以テ経済ノ区域トセシモノニシテ、既ニ十四年度経費予算ハ県会ノ議決ヲ経、確定セシモノナルヲ以テ、仮令(タトエ)分県ニ際スルモ、年度中途ニシテ之ヲ変更スヘキモノニアラス。(後略)」
(大意:そもそも予算は各年度毎で一体のもの。該年度予算の使途は当初の島根県会ですでに議決されており、以後同一年度内はこれに従って予算は執行されるだけのこと。県は分かれたが、今更これに変更を加える処置は至当ではない)
上記3-(2)について
「単ニ松江ニ存在スル動・不動産ヲ估計・分割スルトセハ、悉皆地方税経済ニ属スル動・不動産ヲ估計・分割セサレハ公平ヲ得難キモノアリ。之ヲ調査スルノ手数煩雑ナルノミナラス、到底不可行ノ事タルヲ以テ、石川・滋賀両県ヨリ福井県エ分割ノ的例ニ準シ(以下略)」
(大意:松江にある地方税負担による資産を計算しろというなら、他の公財も全て同様の扱いをしないと公平とならない。これは煩雑で現実的でない。福井県の前例も参考とせよ。)

 あくまで原案を通そうとする返答を受けた山田(鳥取県側)は、さらに一層きびしく反論を加えました(注7)

 4-(1)「果テ然ラハ、島根県会ノ議決ハ其効力ヲ他県ニ及スモノト謂ハサルヲ得ス。抑県会ノ資格タル其議決ノ効ヲ一県内ニ有スルモ、他ニ之ヲ及ス可ラサルハ言ヲ待タサルモノニシテ、本県ヲ創立新ニ県会議員ヲ選定シ臨時会ヲ開キ十四年度ノ経費予算額ヲ議定スルニ当リ、他県、則島根県会ニ於テ議定セシ予算額ヲ継続遵守セサルヲ得サルノ理由ナキハ、理ノ尤モ視易キモノナリ(後略)」
 4-(2)「五県人民ノ公有ニ属スル物件分割ノ処分ハ、事重大ニ属シ、毫モ偏倚ノ事アレハ五県人民ノ間ニ於テ必ス紛議ヲ生シ、遂ニ裁決ヲ仰クノ結果ニ立至リ候哉モ難計ニ付、断然五県ノ経済ニ属スル動・不動産ハ、悉ク之ヲ估計シ公平ニ分割スルヲ以テ至当ノ処分ト存候。(中略)両県官ヲシテ立合估計セシメハ、三十日ヲ出ス。(後略)
 4-(3)「福井県ノ処分ハ其事実ニ就テ之レヲ調査スルニ非レハ、其当否ヲ弁識シ難キモノニシテ、之ヲ以テ直チニ本県ノ的例トハ為難シ(後略)」

 あらためてこの文書によって示された鳥取側の主張は、そもそも島根県会の議決が別の県(新鳥取県)の行政を縛り続けるのが全くおかしい(4-(1))、いうまでもなく公有財産分割は重要な事項であり、その分割計算は30日あればできるのに、これを意図してやらないのはおかしい(4-(2))、さらに事実の確認もないのに、福井県を前例として持ち出してくるのはおかしい(4-(3))、というものです。

 これに対して、島根県はついに以下のような見解を繰り出しました(注8)

 5-(1)「果シテ然ラハ、島根県会ノ議決ハ其効力ヲ他県ニ及ホスモノト謂ハサルヲ得ス云々。(中略)該会ノ議決ニ依テ成立タル五州ノ事物ハ其何国ニアルヲ問ハス、此処ニ之ヲ置キ彼処ニ之ヲ開ク等ノ措置ハ、是皆議会ノ公認セル以上ハ、仮令県地ノ伸縮アルモ該会議決ノ効力ヲ減却スヘキモノニアラサルヘシ。故ニ当度ノ分割法モ、五州連帯ノ費用ハ之ヲ割キ、其個処限建設セル事物ノ費用ハ之ヲ其侭保続シ、該会決議ノ精神・効力ハ決シテ動カスヘキモノニアラスト信認セリ」
(大意:であるなら、島根県会の議決は他県にもその効力が及ぶとも言えるものである。たとえ県の領域が変化しても、それが失効することは決してない。ひとたび県会が「ここにこれをつくる」と決めたものはもと五州(因伯雲石隠)の総意であるから、それに従いその場所に保続するまでのこと。いったん決めた県会の議決は何らゆるがないものである)
 5-(2)「県会議決ノ効力ハ決シテ動カスヘカラサルモノナレハ、放テ物件ノ估計ヲ要セス。且、前日其手続繁雑ナルノミナラス到底不可行云々ト述ヘタルモ、只ニ手数ノ煩ヲ云フニアラス。(中略)到底為スヲ得ヘカラスト云フノ主義ニ有之。(後略)」
(大意:県会の議決は揺るがないものであるので、したがって今更資産を計算する必要もない。しかも、計算をしないのはする必要がないからなのであって、単に煩わしいというのが理由ではない)

 このあとも若干、両県でやりとりが続いたようですが、結局、当該県同士で調整を果たすのは不可能の業でした。ついに島根県は、「内・蔵両卿ノ指揮ヲ乞ヒ、然ル後処置スルノ外有之間敷」と鳥取県に通告、鳥取県もこれを了承するに至り、冒頭の内務・大蔵両卿への上申と運んでいきます。(次号に続く)

(注1)鳥取県『鳥取県史 近代二巻 政治篇』1969 165~168頁

(注2)『鳥取県へ事務引渡書 明治14年』群1-1887 島根県公文書センター

(注3)「坤第二一四弐号」『鳥取県へ事務引渡書 明治14年』群1-1887 島根県公文書センター

(注4)「往第三十四号」『鳥取県へ事務引渡書 明治14年』群1-1887 島根県公文書センター

(注5)「旧鳥取県史」(前掲注1)はこれについて、「警察本署・監獄署・病院」を例としてあげているが、鳥取側の主張では「警察署・監獄署及郡役所・戸長役場・学校ノ如キ各州ニ設立アル者ハ、其侭据置」とあり、この部分についての旧県史の例示は誤りである。

(注6)「坤第二一四七号」『鳥取県へ事務引渡書 明治14年』群1-1887 島根県公文書センター

(注7)「庶第八号」『鳥取県へ事務引渡書 明治14年』群1-1887 島根県公文書センター

(注8)「坤第二二三一号」『鳥取県へ事務引渡書 明治14年』群1-1887 島根県公文書センター

(前田孝行)

活動日誌:2015(平成27)年5月

4日
民具調査(倉吉博物館、樫村)。
7日
古記録編に係る協議及び史料調査(~8日、東京大学史料編纂所、岡村)。
民具調査(倉吉博物館、樫村)。
8日
史料調査(鳥取市歴史博物館、渡邉)。
9日
現代部会資料検討会(公文書館会議室、西村)。
11日
遺物借用(北栄町歴史民俗資料館他、湯村)。
14日
史料返却(若桜町、渡邉)、史料借用(八頭町、渡邉)。
民具調査(倉吉博物館、樫村)。
15日
資料調査(南部町教育委員会、湯村)。
資料調査(古代出雲歴史博物館、樫村)。
18日
銅鐸調査の協議(奈良文化財研究所、岡村・湯村)。
現代部会資料調査(~20日、国会図書館・国立公文書館・防衛研究所、西村)。
近代部会打合せ(公文書館会議室、前田)。
20日
資料調査(南部町教育委員会、湯村)、銅鐸調査の協議(鳥取県立博物館、湯村)。
21日
資料調査(鳥取市佐治町総合支所、前田)。
資料調査(黄蓮関係資料)(智頭町、樫村)。
25日
講師(鳥取大学、岡村)。
資料借用(南部町教育委員会、湯村)。 
28日
資料調査(智頭町、樫村)。
29日
講師(鳥取大学、岡村)。
31日
史料調査(鹿野町、渡邉)。
資料調査(~6月1日、島根県立図書館・島根大学付属図書館、西村)。

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編集後記

 今年で鳥取県再置から133年になります。鳥取県が島根県に併合され、分立・再置されたと単なる歴史事実として私自身は深く考えてきませんでした。しかし今回の原稿を読んで、もし県の併合、分立・再置の当事者としてその業務に携わったとすれば両者間の駆け引きの中で、法を遵守しつつイレギュラーな事案の手続きをするのは本当に大変だっただろうと思います。現代も道州制、大阪都構想など地方自治のあり方を問う活発な動きがありますが、明治初期の鳥取県と島根県の併合・分立の資料は、現代の新たな地方自治の枠組み作りにおいても検討すべき課題が含まれていると思いました。次号はこの事件の結末です。お楽しみに。

(樫村)

  

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